今まで、伊藤正一氏の「黒部の山賊」という本を読んでいた。先日も氏にはちょっと触れたが、三俣山荘のかつての小屋主の書いた本で、これが実に面白い。一気に読んだ。黒部源流ははそれほど詳しくないが、湯俣や、今は廃道となってしまった(ようだが)伊藤新道、そして三俣山荘の辺りは、少しなら分かる。もう山に行くような機会が訪れるかどうかあまり期待していないが、湯俣辺りまでなら天気の良い梅雨明けのころ、テクテクと歩いて行ってみたい。ここへは、天上沢を下った時、伊藤新道を通て黒部に行った時、そしてもう1回あるが、このときは同行者が3人いて、釣りをしながら上の廊下を下ろうとした時だった。その名の通り、深山を流れ下る渓と、そこに噴き出る温泉が魅力だ。目に浮かぶ。
敗戦後、北アルプスの最深部と言われた山の中である。まだ世の中が落ち着いていなかったころ、それでも山の魅力に抗しきれずに粗末な山小屋に登山者は訪れ、それを迎えた小屋主と「山賊」たち。当時の山のこともだが、個性豊かな人々、その人間模様を散りばめて奇譚までが語られる。それらはどれも、黒部源流ならではの話として面白く読めた。あのころ、山は今と違って、行きはぐれた人たちの仮の住まいだったのか、はたまた安全地帯でもあったのか。涸沢にも、そういう人たちがいたことは聞いている。
著者は思い違いをしているが、ゴアテックスが雨具として利用されるようになったのは1970年代の後半である。同書のあとがきに、「登山文化の変遷」としてこのゴアテックスを挙げ、その普及が「昭和三十年に市場に現れてきて四十年代には登山界全体にいきわたる」としているが、誤りである。ただし、山における雨具の重要性は否定できない。
不完全な雨具のためにどれほど尊い命が奪われたかを同書では伝えていて、考えさせられた。現在にも通づる貴重な証言である。当時は、雨に濡れ、風に吹かれれば夏でも呆気なく登山者の命が奪われてしまったようだ。著者はそういう現場を幾度となく目にしてきて、雨具の重要さ、その改良・進歩を、登山文化の変遷の象徴として取り上げたかったのだろう。
登山用品の中で一番買い替えたのは雨具である。その理由は身や骨が知っている。
CMについては放映されており、もう秘匿の縛りはないはずですが、詳細についてはもう少し時間をください。番組名などは不明です。正月2,3日の箱根駅伝で見たくらいです。
日が傾きかけた長い影を引く落葉樹の森や牧場も、やがては雪の中に眠るでしょう。お出掛けください。
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