↑近江・目加田城石碑
12月24日(日)、「近江・目加田城」(滋賀県愛荘町)を訪れた。
目加田城は愛荘町目加田集落のほぼ中央にある目加田公民館南側にあり、公民館駐車場の片隅に石碑と案内板がある。
城跡は広場になっているが大きな2つの本丸土塁の姿が目を引く。まるで古墳みたいな大きさだ。
城主の目加田氏は近江守護佐々木氏に仕えた。
戦国時代、佐々木六角氏の観音寺城の支尾根の一つに支城目加田城を築いて居城していた。この目加田城があった支尾根が安土山である。目加田貞政は、天正4年に織田信長が安土築城の際、目加田氏本来の地、目加田に戻り館を整備したのが目加田城である。
貞政の子堅政は織田信長に従い、天正10年の本能寺の変後は明智光秀に従った。山崎の合戦で光秀が敗死すると堅政は浪人となり目加田氏は滅亡したと言われる。