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マスコミは忖度・伝言板?

2019-06-01 09:49:39 | 日記
 一昨晩、ニュースで安倍首相が「風という言葉には今、永田町も大変、敏感なんですが、一つだけ言えることは、風というものは気まぐれで誰かがコントロールできるようなものではないということであります」と、話しているのを聞きました。その後、他の記者から首相に質問し何かコメントでもあるのかな、と無理なことは分かっていても、淡い期待を寄せましたが、やはり無理なものは無理であったようです。あげくの果て、ニュースは「夏の参議院選挙に合わせた衆参ダブル選挙が取り沙汰されるなか、この発言で永田町に波紋が広がっています。」と、まるで他人事のように伝言板の役割に終始するだけでした。

 そもそも、衆参同時選挙の動き(安倍さんの意向)を「忖度」して官房長官からこの「風」を表面化させたのは大本営付き記者クラブの?記者の誘導尋問でした。本来であれば、任期の満たない衆議院解散についてはそれ相当の大義がなけれならないにも拘わらず、その肝心なこと(Why)をないがしろにして、スクープ本位に走る相変わらずのマスコミの体たらくをこの時の記者会見は反映したものでした。でもまあいいでしょう。かつて何度か指摘したように、日本独特の「記者クラブ」制度がある限り、権力との癒着が避けがたい中で、権力に抗うことは勇気のいることなのでしょう。ちなみに「モリカケ」問題で官房長官に食い下がっていた東京新聞の記者は、女性でしかも政治記者クラブ外の人でしたが、その後内閣はもとより記者仲間からもシカトされているのでは、と老婆心ながら危惧しています。

 それでもやはり、首相の「解散風」を忖度した「伝言板」はいただけません。解散権を持っているのは首相です。その首相が「風は気まぐれ」と無責任に言い放ち、その風に揺らめく人に国を任せていていいのかとまでは今更言及しないまでも、風に揺らめく国の指導者に、記者たちが疑問(Why)程度は口にして欲しかったです。かつて民主党の野田さんが首相であった時、安倍さんの追求に、頭に血が上って解散したことが反面教師として思い出されますが、今回は全く別の意味で、国民不在の中での言葉の遊戯=政治遊戯を黙認しているマスコミの姿に絶望に近いものを感じざるを得ませんでした。ニュースの基本とも言われた「5W1h」は遠い昔の理になってしまったのかもしれません。

 魯迅に言わせれば、「絶望と言っているうちはまだ」救われはするのでしょうが。しかし上述の東京新聞新聞のような女性記者さんの出番が少ない?に反して、大本営所属の出番の多い安倍さん付きの女性記者の嬉々とした伝言ポーズばかりが目につくのも、マスコミが頼りとするポピュリズムを反映した今日のマスコミの典型的な姿なのでしょう。