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「有機農なんて止めたら」? を考える

2014-11-05 19:22:03 | 日記
 3日、4日の午前中、先週に続いて落ち葉集めをして田んぼに散布しました。幸い雨も降ることなく、四方の紅葉を満喫しながらの充実した時間でした。まだ田んぼの全面には及んでいませんが、日蔭となっている東側の木々の葉が、これから落ちてくることになるので何とかその辺りは埋めてくれることになるでしょう。

 作業の最中、近くの専業農家の方に朝の挨拶をしました。返事は返ってきませんでした。時々無視されることもあるのであまり気にはしませんでした。かつてこの地に移住してきた当時、ほぼ2、3年返事をしてくれないご老人がいましたが、それもいつ日か声をかけられるようになりました。原因はよそ者であったほかに「有機農法」に取り組んでいたことにもあったような気がします。集会でもたびたび有機を「趣味でやっている」とも言われていました。でもそれもいつしか聞くようなこともなくなりました。
 
 ところが最近、「有機農なんて止めたら」という声を人伝に聞きました。農家の方ではなかったので、これもまた気に留めませんでした。このブログでも何回か取り上げているように、高齢の専業農家の方が有機農法をやるには負担も多く難しいことです。したがって、彼らから、仮に揶揄されたとしても、実際にもそんな声を耳にすることはありませんでしたが、致し方のないことだとも思っていました。
 たまたま一昨日、返事なしの農家の方に接し、気に留めていないはずの「有機農なんて止めたら」の声が頭をよぎりました。もちろん、返事なしの理由がそれであると思ったからではありません。なぜなら、この14年、彼とは、挨拶なしより、挨拶し合う方が圧倒的に多かったからです。

 しかしながら、考えてみれば、「有機農なんてやめたら」と言った農家でない人の声も、まんざらその人だけの声だけではなかったともいえるかもしれません。独自の意見として言ったのだとすれば、それはそれで立派ですが、大方は「世の習い」に添ってのことのように思われます。そうだとするならば、答えは明白。もともと、「有機農なんて止めたら」と言われたのも、我が家の今年のコメの出来が「良くない」ことから発したもので、まずまずの慣行農家の出来と比べてみれば、一目ではないにしても明明白白、世論に押されての発言だったのでしょう。

 そんなわけで、7年振りの落ち葉の散布にも力がこもりました。思い起こせば落ち葉を散布していた頃の出来は、少なくも今年より良かったことは確かです。中傷誹謗? にも理あり。教えられ学ぶことは多々あります。