康花美術館では7月5日から「戦場と人間」と題して特別展を開いています。正確には「幻想か現実化ー食と戦場と人間」と言うのが正式なタイトルです。この特別展を企画したのは、敗戦記念日を控え、何よりも作者が戦争に関して思い残した言葉や作品があったことによります。作者は15歳歳の時に次のような文章を残しています。
* 戦争が起きるかもしれない
戦争が起きるかもしれない。
物心ついたときから父や母に戦争の恐ろしさ愚かしさを聞いて育ったせいか、生まれてこの十何年間、私は戦争というものを非常に恐れて 暮らしてきた。暮らしてきた、というと常におびえて、びくびくしていたようだが、深く追求していけば、自分の国だけは何とかなるだろ うという安易な考えもあったのだ。
けれども、今度ばかりは、私が知らなかっただけで、過去にも幾度か危機はあったのかもしれないが、最悪の場合、本当に戦争になるかも しれない。(略)
私の夢は当たることが多い。
戦争で男たちが軍服姿で大勢船に乗り
込み、大勢の人々が歓喜の声を上げてそれを見送っている姿の夢を見た。
街が焼かれ火に包まれる道なき道を、恐怖と苦しみ無我夢中で逃げている自分の夢を見た。
目の前で、すすだらけの人間とも思えない兵隊に、機関銃で撃ち殺される人々の夢を見た。
ああ、もしこの悪夢が現実となったら、私はどうやってこの先歩いていけばいいのだろう。
(略)
ああ けれどどうか できることなら
私の数々の罪を許して下さい
お願いだから戦争はやめて下さい
(一九九四年六月一一日)
時代は湾岸戦争の頃でした。それから10年余りしてイラク戦争が起こりました。この間作者は、東京大空襲を経験した父親に連れられて、祖母や伯母、父たちが逃避行した足跡をたどる経験をしています。海底あるいは原野にさらされた髑髏の先に小さく閃いている日本の旗を描いた「歴史」、女性の乳房と朽ち行く男根の柱を描いた「戦場のエロス」、そして月明かりに映し出された、死屍累々の髑髏と武器の山を描いた「悪夢」などは、正に戦争の悪夢に触発された作品と言えるのでしょう。もちろん戦争だけに向き合って制作したのではないのでしょうが、「私は形」「双眼」「ブリキの太鼓」に表出された若き日の作者の目が、戦争の悪夢を射ていることもまた確かです。
以上の作品の他、戦争に関連して描かれたと思われる「食4」「白い命」「ゴジラ」などを展示しましたが、開催してから数日後、作者自身が2005年にパソコンに入力した作品の写真集が出てきたのです。その中に30枚近く戦場を描いたと思われるデッサンがありました。その一部は観たことがありましたが、まとまって目にしたのは初めてでした。上記した「悪夢」はその成果の一つで、恐らく、作者はこれらのデッサンをもとにいくつかの完成作品を制作するつもりであったのだと推測されます。ゴヤが最晩年、誰にも見せることなく連作「黒い絵」を描き切ったことが思い起こされ、一層に残念な思いが募ります。戦場の大地にごろんと転がった大きな人間の頭部一つ、手前に突き刺さった銃剣、その間を蟻を思わせるような小人たちが列をなして歩いている風景、是非とも大作として完成させてほしかったデッサンの一つです。とりあえず、急きょその中の23枚をプリントし、2つの額に入れて追加展示することにしました。「戦場と人間」と題したのは、これらのデッサンによるものです。
是非とも一度ご来館下さいますよう、お待ちしております。
* 戦争が起きるかもしれない
戦争が起きるかもしれない。
物心ついたときから父や母に戦争の恐ろしさ愚かしさを聞いて育ったせいか、生まれてこの十何年間、私は戦争というものを非常に恐れて 暮らしてきた。暮らしてきた、というと常におびえて、びくびくしていたようだが、深く追求していけば、自分の国だけは何とかなるだろ うという安易な考えもあったのだ。
けれども、今度ばかりは、私が知らなかっただけで、過去にも幾度か危機はあったのかもしれないが、最悪の場合、本当に戦争になるかも しれない。(略)
私の夢は当たることが多い。
戦争で男たちが軍服姿で大勢船に乗り
込み、大勢の人々が歓喜の声を上げてそれを見送っている姿の夢を見た。
街が焼かれ火に包まれる道なき道を、恐怖と苦しみ無我夢中で逃げている自分の夢を見た。
目の前で、すすだらけの人間とも思えない兵隊に、機関銃で撃ち殺される人々の夢を見た。
ああ、もしこの悪夢が現実となったら、私はどうやってこの先歩いていけばいいのだろう。
(略)
ああ けれどどうか できることなら
私の数々の罪を許して下さい
お願いだから戦争はやめて下さい
(一九九四年六月一一日)
時代は湾岸戦争の頃でした。それから10年余りしてイラク戦争が起こりました。この間作者は、東京大空襲を経験した父親に連れられて、祖母や伯母、父たちが逃避行した足跡をたどる経験をしています。海底あるいは原野にさらされた髑髏の先に小さく閃いている日本の旗を描いた「歴史」、女性の乳房と朽ち行く男根の柱を描いた「戦場のエロス」、そして月明かりに映し出された、死屍累々の髑髏と武器の山を描いた「悪夢」などは、正に戦争の悪夢に触発された作品と言えるのでしょう。もちろん戦争だけに向き合って制作したのではないのでしょうが、「私は形」「双眼」「ブリキの太鼓」に表出された若き日の作者の目が、戦争の悪夢を射ていることもまた確かです。
以上の作品の他、戦争に関連して描かれたと思われる「食4」「白い命」「ゴジラ」などを展示しましたが、開催してから数日後、作者自身が2005年にパソコンに入力した作品の写真集が出てきたのです。その中に30枚近く戦場を描いたと思われるデッサンがありました。その一部は観たことがありましたが、まとまって目にしたのは初めてでした。上記した「悪夢」はその成果の一つで、恐らく、作者はこれらのデッサンをもとにいくつかの完成作品を制作するつもりであったのだと推測されます。ゴヤが最晩年、誰にも見せることなく連作「黒い絵」を描き切ったことが思い起こされ、一層に残念な思いが募ります。戦場の大地にごろんと転がった大きな人間の頭部一つ、手前に突き刺さった銃剣、その間を蟻を思わせるような小人たちが列をなして歩いている風景、是非とも大作として完成させてほしかったデッサンの一つです。とりあえず、急きょその中の23枚をプリントし、2つの額に入れて追加展示することにしました。「戦場と人間」と題したのは、これらのデッサンによるものです。
是非とも一度ご来館下さいますよう、お待ちしております。