「らららクラシック」で、懐かしい≪三大テノール≫の歌声を聴いて、大興奮したことは以前のブログに書かせてもらった。
更に、「らららクラシック」から程なくの「あさイチ」で、その≪三大テノール≫のドキュメンタリー映画が、上映されることが
紹介されたのだ。
私はそれを聞いて、又々狂喜した。
「これは絶対に見に行くぞ!」
パソコンで検索してみると、十三にある「第七藝術劇場」という古い映画館で、1週間ばかり上映されているとのこと。
(映画は朝10時から、1回の上映だった。)
早速パソコンで23日のチケットを買った。
23日の朝、9時半くらいには十三駅に着くように準備をした。
「第七藝術劇場」には遥か昔、1,2回行ったことがあるけれど、場所をハッキリ覚えているわけではなかった。
覚えているのは、十三駅から程近い劇場だったことくらい。
十三には阪急電車に乗っていく。
阪急中津駅に向かって急いでいる途中、まっ白い花をいっぱい付けた椿の木が目に入った。
私は時間を考えて一瞬躊躇したが、やっぱりカメラを取り出してシャッターを押した。
その後、私は駅に向かって走った。
しかし、この日に限ってしていた二重マスクで、私は息が苦しくなってしまった。
二重マスクがいいことは、テレビなどで盛んに言われているけれど、私はそれまでは一枚のマスクで良しとしていた。
しかし、「第七藝術劇場」は古い映画館だし、パソコンで感染対策がどのくらいされているかをちゃんと調べなかったので、
多少の不安があり、二重マスクをすることにしたのだった。
私は飛び乗った電車で早速マスクを一枚はぎ取った。 すると途端に胸の苦しさがすっと消えた。
十三駅で降りて、何人かの人に聞いて、やっと第七藝術劇場に着いた。
藝術劇場は以前のままの佇まいだった。 狭い壁に、沢山のポスターが貼られているのも、昔と同じだった。
藝術劇場は、古いけれど、感染対策はキチンとやられているようで、安心した。
お客さんが次第に集まって来られた。
ネットで予約しなければいけないものと思っていたけれど、その場で買っておられる方も多かった。
座席の半分くらいが埋まった頃、いよいよ映画が始まった。
待ちに待った映画、≪甦る三大テノール (永遠の歌声)≫ が!
映画の中味は、「らららクラシック」と重なるところは多いけれど、「らららクラシック」が40分、今回の映画が1時間45分
だから、三大テノールの結成の事情からその後のいきさつまで、より詳しく知ることができて面白かった。
三大テノールを年齢で言うと、上から、パバロッティ、ドミンゴ、カレーラスの順だ。
当時のオペラ界では、パバロッティが押しも押されもせぬ不動の位置を占めていて、ドミンゴがその後を追ってきている
状態だった。
なので最初は、パバロッティはドミンゴをなかなか寄せ付けなかった、という面白い逸話も語られていた。
そんな三人がワールドカップの前夜祭でタッグを組むことになったのは、三人ともが大のサッカーファンであったこともあ
るが、前にも書いたように、パバロッティやドミンゴから見ると弟分に当たるカレーラスが、当時は不治の病であった白血
病に罹り、絶望的だと思われたところから何とか生還を果たし、その上歌声まで取り戻したことが、大きな要因となったの
だった。
カレーラスの苦しい闘病生活から生還・復活の過程は、私はずい分前にドキュメンタリー番組で見たことがあるけれど、
(その録画テープは今でも残っている。) その時のことなども、今回の映画では詳しく描かれていた。
もう一つ、パバロッティの逝去についても、今回新しく知ったことがあった。
パバロッティは2007年に71歳で亡くなってしまうが、正に「巨星落つ」の感があり、葬儀には、イタリアを代表する方た
ちをはじめ、市民10万人が集まり、その死を悼んだそうだ。
そして今回の映画には、今でも美しいパバロッティ夫人が登場されて、彼の歌に懸ける思いの強さを語っておられた。
いろいろ書いてしまったが、今回の映画で一番感動したのは、やはり、三大テノールの歌声の凄さだ。
一つの歌を三人がそれぞれに美しく力強く歌い、最後に三人が、ある時は競うように、ある時はぴったり息を合わせて歌
う様は、何度見ても心が躍る光景だ。
私は、彼らの歌が終わる度に、思わず拍手をしてしまっていた。(音はたてないようにしながらだけど)
そして彼らの歌声に何度も涙した。
私だけかとそっと辺りを見回すと、同じような方が何人かおられて、みんな思いは同じなんだと嬉しくなった。
パバロッティは逝き、ドミンゴもカレーラスも、当然ながら年を取られた。
でも、彼らの天にも届くような、力強くも美しい歌声は、永遠に不滅だ。
私は、こんなにも心を豊かに幸せにしてくれた彼らに、心からの感謝を捧げながら、劇場を後にした。