日にちは忘れてしまったが、比較的最近の「ETV特集」で取り上げられた下記の番組は、私に強い衝撃を与えた。
私は終戦直前に島根の田舎で生まれたが、私の田舎は幸いにも、直接空襲を受けることはなかった。
もちろん、戦争中の食糧難・物資不足の話は、両親や兄姉からよく聞かされてきた。
大きくなるにつれ、東京大空襲や大阪大空襲、沖縄戦や、広島・長崎への原爆投下による悲劇などについて、知識も得てきた。
そして、日本は、戦争で被害を受けただけでなく、東南アジアの国々に対しては、加害者であったことも学んできた。
私は、戦争の悲劇については、比較的よく知っている方だという、自負さえ持っていた。
ところが‥
≪空襲被害者≫と言われる方たちが、戦後68年経つ今も、何の保証もなく傷を抱えたまま不自由な暮らしをされていることは、上の番組を見るま
で、全く知らなかった。
下の写真は、名古屋大空襲で左目を失った、杉山千佐子さん。
杉山さんは、左目がない不自由さにもめげず、いろんな仕事をされ、自立して生活してこられた。
その彼女が41年前、仕事仲間の助言もあって、『全国戦災障害者連絡会』をつくられる。
その会には、空襲で傷つき障害を負い、世間の差別の目にも耐えながら、貧しく苦しい生活をしてきた人たちが、続々と集まってきた。
空襲で、手を、足を、あるいは両手・両足を失った人。
目を、耳を、失った人。
腕に、脚に、そして顔中に、ケロイドを負った人。
杉山さんを中心として彼(女)らは、空襲被害者を救済する法の制定を求め、何度も何度も国会に請願を繰り返された。
だが、法は整備されず、今に至るまで、なんの救済措置もとられなかった。
そんな中で沢山の悲劇がうまれた。
浜松大空襲で共に障害者となった二人が結婚、二人の子どもを授かるが、世間の白眼視もあって生活が成り立たず、一家心中を図ってしまったとい
う事件。
顔中ケロイドを負い、多額の費用を出して30回も美容整形を受けるが、思うように良くならず、絶望して結局自殺してしまった女性。
(ケロイドの治療が、医療として認められていれば、そんな不幸も起こらなかっただろうに‥。)
(ケロイドに苦しみ、手術を繰り返した後、39歳で自殺した女性)
空襲被害者の救済を拒否する、国の言い分はこうだ。
「軍人・軍属と違って一般国民は、国との雇用関係がないから、保障する必要はない!」
(そんなバカな!)
当時軍は、空襲に苦しめられる国民に対して、「焼夷弾は決して怖いものではない!」と偽りの宣伝までして、あくまで本土でも、敵と戦うことを国民
に強要していた。
そのために、焼夷弾の怖さを知らず、それから逃れることをせず、沢山の人が莫大な被害を受けたのだ。
そうであるにも拘わらず、戦後一切の救済を拒否してきた日本と言う国は、一体どんな国なんだろう?
私は、憤りと悲しみを禁じえない。
左目を失いながらも自立して生き、空襲被害者の救済を求めて運動の先頭に立ってきた、杉山さん。
その杉山さんも、今ではもう、97歳。
目だけでなく、体のアチコチが不自由になっておられる。
(97歳の今も、不自由な体をおして訴え続けられる杉山さん)
彼女が生きておられる間に、空襲被害者の救済に向けての道が、少しでも開けていくことを、テレビを見ながら強く願った。
(願うだけではどうしようもないことは、十分知りつつ‥)