靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

唯一の「失敗」とは

2013-09-29 07:13:50 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

究極のところでコーチを信じるということ(‘Take The Shot’by Charlie Harary aish.comを参考に):

 バスケットの試合。最強ライバルを招いてホームタウンで。一点入れられたかと思えば、また一点入れといった大接戦、観客席の盛り上がりもピーク、そこへ試合終了八秒前、相手側のロングシュートが決まる。

タイムアウトを叫ぶコーチ、チーム集まり、何としてでもゴールを!と引き締める。

試合再開、あと八秒。チームメートがボールを手に取り、コーチの指示通り、自分にボールが渡される。ドリブルして相手チームを切り抜けゴールに向かいながら、自分になどできるわけない、ここで失敗したら取り返しがつかない、やってみようか、いや無理に決まってる、そんな思いが駆け巡る。残り三秒、チームメートの一人にパス。

チームメートがボールを放つ、ゴールの丸い枠に当たり・・・、網の外へ。終了の合図。会場はブーイングの嵐。

ロッカールームで、「おまえたちは最善を尽くしたよ、次回取り返そう」、そううなだれるチームに声をかけるコーチ。皆がそれぞれ着替え始める中、コーチに別室へと呼ばれる。

「このゲームの結果がおまえのパスによるところが大きいのは分かってるね。自分にできるわけがないと、自分を信じられないのなら、せめて最後のところで私を信じなさい。私は三十年コーチをしてきている。最後の八秒で何をするべきなのか、よく分かっているつもりだ。」

ロッカールームに座り込む。コーチが自分を信頼してくれたありがたさと、できる限りのことをしなかった自分への後悔と。



自分になんてできるわけない、もっと他にできる人がいる、そんな能力ないし、容姿だって財力だって何をとったって、自分よりできる人や上の人なんていくらだっているし、自分にそんなレベルのことができるわけないじゃないか。心の底で繰り返される言葉。

ユダヤの慣習に、「毎朝の祈り」がある。「こうして再び魂を私に戻して下さり、ありがとうございます(寝ている間に魂は「神」の元に戻っていると信じられている)。あなたの信頼は、とてつもなく偉大なものです。」そう目が覚めるとすぐに、祈る。

「神」は一人一人に、ボールを渡しているという。こうして毎朝目が覚め、この世に日々生かされているということは、大きな信頼を預かっているのだと。究極のコーチが、あなたが行くのだと、あなたがボールをシュートするのだと、毎朝ボールを渡している。そして唯一の「失敗」とは、ゴールに入った入らなかったではなく、できる限りのトライをしなかったということ。

こんな小さな自分にできるわけがない、それでも最後のところでコーチを信じてみる。小さな自分などより、はるかに大きな視野で眺めているコーチを。

与えられたボール、できる限りをし続けたい。


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