靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

その時、どう謙虚であれるか?

2013-08-11 05:52:19 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


・「裁くなかれ」について
(Shoftim, Taste of text by Chana Weiseberg & “What you do not know?” by Yanki Tauber, The Scroll August 1013より)

裁判には、検察官と弁護士が必要。容疑者がいかに悪かを証明する側と、容疑者のよき部分や止むを得ずそうなってしまった事情などを明らかにしていく側。

この力関係は、一人一人の内にも当てはめられる。もし、相手の悪いところしか見えないのならば、その人について何らかの判断を下すところにはいない。

そして、「Do not judge your fellow until you have reached his place. “その人の場所”に至るまで、その人をジャッジするべきではない」(『トラ』より)という言葉にあるように、例え、検察&弁護といった相対する力関係の中で、その相手が社会的に良くない行為行動をしたといった判断を下したとしても、その相手の全存在までを判断することはできない。

“その人の場所”とはその人の中心、つまり「車輪の中心」、そこでは、あなたはその人でもあり、その人はあなたでもある。

人付き合いの中で、覚えておきたいこと。



・リーダーとは?
(“The Most Powerful Person; The Most Humble Person” by YY Jacobson & “If I were a Rich Man” by R’ Ben Tzion Shafierより)
「My heart is empty within me. 私の心は私の内に空である」とダビデ王が言うように(詩篇より)、セルフレスであり、完全に仕える者こそがリーダー。

王(リーダー)を敬い王に仕えることを義務とする『トラ』。同時に王に対する警告も様々記されている。名誉(honor)・権力(power)・富(wealth)が、いかにリーダーがリーダーたる資質を失わせるものであり得るかと。

リーダーは、名誉・権力・富、何一つとして、彼/彼女(リーダー)自身によるものでないと常に思い出す必要があると。それには自分がどこから来てどこへ行くのかを常に思い出すこと。全ては過ぎ去っていく。あっという間に。今日自分の名前が賞賛とともに歌われたとしても、明日は忘れられているもの。

そして名誉・権力・富の中でも、「富」が最も危険とされる。「富」を得ることで、自分は何でもできる、一人で生きていけると思い込んでしまうため。どんな立派な王であったとしても、このチャレンジほど難しいことはないと。そしてこれは、現代の物質溢れる世界の一人一人にあてはまるチャレンジでもあると。

必要なものは自分で手に入れることができる、自分は自立独立している、誰の世話になる必要もないという思い。同時に、自分には何のコントロールもないと思い出し続けること。

「自分がしている」と思い始めるとき、リーダーはリーダーでなくなる。「リーダーでないリーダー」が司るなら、カオス。逆に、「私の心は私の内に空である」という真のリーダーが司る
とき、そのリーダーに仕える者皆も「私の心は私の内に空である」となり、永久に繁栄し続けると。


将来、あなた達も、何らかの名誉・権力・富を手に入れることもあるかもしれない。それが例え小さなものであっても大きなものであっても、その時、どう謙虚であれるか? そんな話を子供たちと。

長女:例え自分が好きなように色々なものを買えて、好きなように暮らせたとしても、自分が生きて死んで、そういったことを自分自身では何にもコントロールできないと思い出してみる。

長男:お金を全く持たずに過ごす日を作ってみる。欲しいもの何も、ドリンクの一つさえも手に入れられないという状態に時々自分を置いてみる。

そんなアイデアを出していました。

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