靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

喜んで差し出せるよう心を整える

2013-02-17 03:02:57 | 子育てノート
昨夜のファミリーディナートピック。

喜んで差し出せるよう心を整える

何かを差し出すときは、嫌々でなく喜んで差し出せるよう。周りの人を助けるのでも、嫌々や義理でしょうがなくではなく、喜んで助けられるよう。しなければならないことでも、どうせしなければならないなら、嫌だ嫌だとするよりも、喜んでできるよう。

聖書からの引用も用いつつ:
モーセが砂漠に仮の寺院を作ろうと周りに呼びかける。金銀を差し出す人々は多かったけれど、それでもモーセは嫌々や義理でしょうがなく差し出す人々のものは受け取らず、喜んで差し出す人々のものを受け取ったという。「『神』は喜びによって築かれたものに住まわる(dwell in)」と。


ここからは子供抜きに夫と:

これらは子育てにも当てはめられること。

 子供の世話は次から次へとノンストップ。送り迎えに食事に掃除洗濯に宿題にプロジェクトに、駄々をこねる子をなだめ、無理難題を主張する子を諭し、気のそれた子を揺り起こし、境界を越える子を叱り、友人関係についての悩みを聞き、その日あったことを延々と話し続ける子に耳を傾け、ままごとで店を訪ねた客になりプラスティックのベーコンをかじり、ちょっと何度目の「もう一回!」だっけ?と思いながらカードゲームを続け・・・。

ああ、自分の時間なんてこれっぽちもとれない、嫌になっちゃう、そう接するよりも、日々心を整え、共に過ごす一瞬一瞬を喜び楽しめるよう。

それには、確かに時に少しでも一人の時間を持てるよう何とか調整することも必要なのでしょうし、その少しの時間で瞬時に回復できる鍛錬も必要なのでしょう。

子供を一時預けられているという原点に戻ること、これからの世界を創っていくのはこの子供達なのだということ、その子供達の土台となる大切な最初の一時を共に過ごしているのだということ、長いスパンで見たら本当に限られた時間こうして密に共にいられるのだということ、そう日々心を整えていく。

喜びによって築かれたところに、子供達が住めるよう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿