靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

整理、子供も大人も変わっていける

2012-11-04 01:59:03 | 今週の整理
1.今週はプレスクールのアシスタントの方々が休み(バケーションや突然の風邪や)。月曜はハロゥインパーティーの手伝いに入ることになっていたけれど、火曜水曜は成り行きで急遽終日手伝い。突然全粒粉の袋を渡され、目分量でパン作ったりと、なかなかスリリングでもあった。
 これほどみっちり三日間続けて教室に関わったのは初めてのこと。小さな子供達を預かる仕事の大変さとやりがいと。チャレンジングな子も手のかからない子も、子供達一人一人に向ける先生の温かい眼差し。ついついジャッジメンタルに眺める自分に気づきはっとする。この子はこういう子だという枠に子供をがんじがらめにしない、ダイナミックな流れの中で子供はもちろん大人も変わっていける。「ジャッジをはずす必要があるのよ」、どうしたら健やかに育つか、親と共に真摯に模索する先生の言葉。そんな先生の傍にいられる子供達は幸せ。十数人の子供達と歌って遊んだ三日間、新鮮で楽しかった。

2.木曜日は朝から友人達と「ビジョン・ミーティング」なるものを始める。それぞれが分かち合うビジョンの交錯する瞬間。行動に移し、形を起こす。現実的に動き始めている感。自分がしているわけではない、自分が使われる、そんな感覚を行き渡らせていくのが鍵なのかな、そんな話も。あれやこれやとアイデア出し合い、ブレインストーミングできる友人達が有難い。昼からはプレイデイト。大人十人近く子供赤ちゃん十数人と賑やかに。家事育児以外のフルタイムの仕事を持つ友人も専業主婦の友人も、皆忙しく駆け回る中時間を搾り出して。

3.完璧な人なんていやしない。誰にだって得意不得意分野がある。あの人のあそこが足りないあそこが未熟だと批判し合うよりも、補え合えばいい。でこぼこな人々が集まるからこそ、面白い形が生まれる。ごつごつと当たりあう違和感を、創造の糧に。

4.もらうより、差し出すにフォーカス。いただくものには当たり前と胡坐をかくことなく、有難さを胸に感謝を表しつつ。周りの友人達の眩しい姿勢に、学ばせていただいている。循環させて

5.ヴィジョンを描きつつ、今ここに最善である

6これほど長い間をかけ世界中に行き渡った物語、聖書。人々の奥底に根付く物語、様々ある解釈から選んで。
 .(創世記21)アブラハムとサラの間にアイザックが生まれる。アブラハム100歳サラ90歳、何十年も結婚生活を送り、ようやく授かった子供。子供ができなかったサラがメイドのハガルとの間に子供を作るようアブラハムに頼み、生まれたイシュマエル。アイザックを殺そうとするハガルとイシュマエルは砂漠へ追放される。息子が死んでいくのを見るのが耐えられないと、息子から離れ泣くハガル。そこへ少年の祈りが届いたと「神」が現れ、泉が目の前に。二人は救われる。
 アイザックがユダヤ・キリストの祖先、イシュマエルがアラブの祖先と言われ、解釈も錯綜するのだけれど、ここでは歴史的に様々な名解釈を残したユダヤのラビ、ラシ氏の解釈。
天使が神に、イシュマエルを生かすことは、ユダヤを弾圧し対立する子孫を生み出すことを意味すると抗議したにも関わらず、神はイシュマエルを救う。 
 ラシ氏は、「神」は過去未来のイシュマエルでなく、砂漠で泣くイシュマエルの誠実さ純粋さを見たのだと言う。「神」が見ているのは、常に今ここでのその人なのだと。過去の過ちや業績や、未来の計画や予定ではなく、今どうなのかが大切なのだと

7.一人一人の内に、その人専用のその人を超えたものと繋がる回路がある。その回路を通じて意識的にせよ無意識的にせよ受け取るものにより、今のその人がある。他者をリスペクトするとは、他者の能力や功績によるのではなく、他者の内での他者と他者を超えたものとの営みをリスペクトするということ。人の価値をジャッジするのは人の仕事じゃない。

8.腹筋に腕立て伏せに、細々ながら続けている。身体の筋力トレーニングと共に、脳のストレッチ。遊び感覚で「lumosity」(試していないけれど他にも似たようなものいくつかneuro-nation.comやfitbrains.com)なども。子供の食いつきに驚きつつ、やらせ過ぎず気晴らし程度に。他にも自然の中で五感を澄ませてみたり。トレーニングで鍛えていけるものは日々少しずつ。

9.一つの絵でありながら、老婆に見えたり若い娘に見えたり、あひるやうさぎに見えたりする絵がある。オプティカルイリュージョンなどの本に載っているこれらの絵、子供達との間で「ほら、あの絵」というのが、相手の状況や相手の気持ちを、相手の視線から理解してみよう、そんなことを思い出すためのキーワードになっている。自分と相手は同じものを見ているのではないかもしれない、まずはその前提に立つことが、相手を本当に理解しようとする姿勢を生み出す
 学生時代専攻した文化人類学の要は、「フィールドワーク」。本に顔をうずめ過ごす研究室の外に出、研究対象とする人々の中に入っていき、ひたすら彼らのことを理解しようとする作業を、「フィールドワーク」と言う。そこに暮らす人々と同じものを食べ、同じ家屋に寝起きし、同じリズムで生活することで、彼らが何を大切に思い、何をタブーとするのか、どのような「意味の網の目」の中に暮らしているのかを理解しようとする。
「フィールドワーク」を試みたことがある。アラスカ南西部の村で、ネイティブ・アラスカンの家庭にお世話になった。ツンドラを歩き植物採取、川にボートを漕ぎ出し漁、周辺の村へ葬式や結婚式にと毎日彼らと行動を共にした。あざらしの油につけた鯨の脂肪、ツンドラでとれた粘り気のある植物の茎、川で網を握り獲った銀鮭、冷蔵庫に詰められた羽根つきの鴨、家々で出される食事は何でもありがたくいただき、木造の家屋に共に寝起きすることで、いつしか彼らの一人となった自分がいた。やがてネイティブの名前をいただき、家族の一人として受け入れられたのだった。
 この時の体験は、その後も人と交わる上で大きな助けとなっている。「相手を理解しようとする」ということは、できるだけ相手と同じリズムに自分を置き、相手の側から周りを見ようとすること。相手の側に立ってみる、そこから今まで自分が見ていたのとは全く違う景色が広がり始める
 それでも「相手を理解する」というのは、終わりがあるものではない。程度の差はあれ必ず自分のフレームや視点が入り込み、また自分も相手も、「固定された静物」ではなく「変わり続ける生物」。相手の全てを理解するということは不可能。相手を理解し尽くしているわけではない、そんな謙虚さをもちつつ、誠実に理解しようとし続ける、人と交わる上で、心に留めておきたいこと

10.開く


あたり一面真っ白! アンカレッジより。

Have a wonderful week!

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2 コメント

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Unknown (OYABAKA)
2012-11-11 17:23:42
この頃、物忘れが極度にひどく、もしかしたら。。。と思い、Oncologistに訪ねたところ、抗がん剤のあとにおきる”chmo-brain”かもということ。
脳のMRI、神経心理学医によるコグニティブなどのテストを受けたりとかしているプロセス中ですが、
ひとつ勧められたのが、マチカさんもやってみえるLumosity、私もiPhoneにいれて毎日ちょっとずつ“脳の訓練”してます。

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OYABAKAさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2012-11-18 01:45:03
抗がん剤にはそんな副作用があり得るんですね。テストなど受けているプロセス中とのこと、早く治療プログラムが具体化し、よくなっていくよう祈っています。

OYABAKAさんの癌を克服され元気に暮らされる様子、周りで今癌に向き合っている知り合いたちにも伝えます。いつもありがとう。

Lumosity、勧められたんですね。一日10分ちょっとずつ、積み重ねることできっと違いが生まれますね。

家では夫と子供達(上三人)はがちょこちょこと。夫は仕事の前に、子供達はゲーム感覚で。私も時々時間を見つけて頭のストレッチに。確かに使わない部分を使うような気分ですね。

南の島でのOYABAKA家の暮らしを想っています。銀世界のアンカレッジより感謝を込めて。
Happy Thanksgiving!




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