靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

整理、喜びを見出すのなら、はるか遠くに飛んでいける

2012-12-09 01:15:17 | 今週の整理
1.五十七年間の記録史上最大積雪量の去年、から打って変わり、今冬は雪が少ない。アラスカに暮らして初めて知ったのだけれど、暖かいと雪が降る。そして暖かい冬だと、寒い夏が来る。来年の夏は多分からりと晴れ渡った夏日が続くね、雪も降らない厳寒に、真夏の太陽を思い頷き合いながら。凍りついた景色、樹氷がまぶしい!

2.ネイティブ・アラスカンの「姉」と昨冬以来の再会。車で迎えに行き、最近開いたばかりの日本人の経営する「鳴門らーめん」へ。「村の冬に比べたらね、暖かいものよ、風もないし」 車を降り、肌を刺す空気に思わず首をすくめる私の横で「姉」が笑う。テーブルに並んだ「ラーメン」の盛り付けに「きれいねえ、食べるのもったいない」とため息をつき。麺をすすりながら近況報告。辛い出来事が続き、ここ数ヶ月間涙を流し続けたと。「でもねマチカ、もう泣かないって決めたのよ。嵐に呑み込まれないよう歩き始めようって」 先週から通い始めたコンピューター技術のクラスが楽しい、週二日は少なすぎる!と。おどけて、冗談を言い合い、笑い転げて、いつもの明るい「姉」がいる。
 ネイティブ・アラスカンを取り巻く状況は厳しい。親戚や知り合い、すぐの身近に、アルコール中毒、ドラッグ、自殺、暴力、犯罪が渦巻く。「姪」(姉の娘)も更生施設から出たり入ったりを繰り返している。百八十センチ近くのすらりとした長身、ぱっと人目を惹くほど美しく成長した思春期の「姪」。渦に呑み込まれるにはまだあまりにも早すぎる十五歳。「大丈夫、あの子は自分が誰なのかを分かりつつある」溢れる涙の果てに、そう一語一語力を込める姉。「マチカ、あの子の心の奥で支えになっているのが誰か分かる?アパよ」「アパ」とは「祖父」のこと。寡黙な「父」の顔から微笑が消えたのを見たことがないのを思い出す。「アパはどんなによくないことをしたって、愛し続けてくれる。いつもあの温もりで私達包んでくれる。どんな状況にあってもね、アパを思い出すとあの子の頬に透明な涙が流れるのよ。あの子は大丈夫」。
 気がつくと、店の客は「姉」と私と、「姉」にもらったロリポップを嬉しそうになめている次男だけに。店を出て、スーパーへ買い物。みかんの袋を両手に抱え、ふざけ合いながら。「姉」は本当によく笑う。「姉」の住む福祉施設の前で、車を止め、ハグ。「村からサーモン送ってきたら、すぐに連絡するからね。マチカに目玉を譲ってあげる」そうウインクして手を振る姉の姿が、戸口の向こうに消える。車を走らせながら、十三年前長男を妊娠中に、町で偶然驚きの再会をしたアパ(「父」)が、私の突き出たお腹を指して言った言葉を思い出す。
「This child needs you. You need this child. This child needs this world. This world needs this child. That is the reason why this life is here.  (この子にはあなたが必要。あなたはこの子を必要としている。この子にはこの世界が必要。そしてこの世界はこの子を必要としている。だからこそここにこうして命が宿っている)」 アパの静かな微笑を胸に

3.毎日十五分程、「Lumosity」というオンライン脳活性化トレーニングのようなものを試している。それにはスピード、注意力、柔軟性、記憶力、問題解決力の五項目があり、項目別の折れ線グラフが、どの項目がどれほど伸びているかを毎日示してくれる。本当に能力が伸びているのか、単にゲームの仕方に慣れこつを掴みつつあるからなのかは定かではないのだけれど、大体周りの家族を見ていても、折れ線グラフは徐々に上向きになっていくもの。ところが最近、「注意力」と「記憶力」が下降気味に。日常生活に支障をきたすほどではないので、あまり気がつかなかったのだけれど、こうしてグラフで突きつけられると、ああ確かにそうかもと思う。まあもちろん加齢もあるのだろうけれど(笑)、どうしてだろうと不思議に思っていると、夫の一言「どう見ても睡眠時間が足りてないからだよ」。
 調べてみると、最近の研究では六時間半から七時間半眠るのが、もちろん少数の例外者もいるだろうけれど、大部分の人々にとって最も健康的に暮らせる睡眠時間らしい。それ以下が続くと「酔っ払い」状態なのだという。計算してみると、ここ何日間か平均睡眠五時間弱、確かに何だかふわふわと浮き上がったような感覚(気持ちが浮ついているという意味でなくて、笑)。そうか酔っ払ってたんだ・・・。
 面白いのが、そんな中、「柔軟性」の項目がニョキニョキと伸びたこと。「酔っ払い」が普段たどたどしい英語をいきなり流暢に話し始めたり、転んでも怪我しないという話を聞いたことがあるけれど、普段抑えている何かが外れちゃった状態なのだろう。あの外した感覚は「しらふ」でもキープできたらと勝手なことを思いながら。
 早朝書ける時間が待ち遠しく、夜中に何度も目が覚めてしまう現状。それでも六時間半の睡眠時間がとれるまでベッドから起き上がらないよう努力してみた。起き上がらなければまた眠りに落ちる。週に一度の二時起きも止め、大体毎日四時半起き。すると! 五項目すべてがまた上向きに。グラフ、分かり易い。車運転中のあっという瞬間の「注意力」など、やはり下がっていると危険だろう。毎日のことだし特につるつるの雪道だし。おかげさまで、ふわふわ感も消え、物忘れも少なく。目先の書く時間は少し減ってしまったのだけれど、長くこつこつと続けていけるよう、身体を整えていきたい

4.週に一度の「ビジョン・ミーティング」、至福と現実の不完全さ、常に至福に繋がりつつ、肉体を動かし行為を刻む、そんな話を。言葉にしにくい感覚を、聞いてくれる友人がありがたい。右脳左脳、思考をシフトさせる感覚、形の無いものを形にすること、思いやり、夫婦、股関節歪み検査などなど、今回も盛りだくさんに名残惜しく終了時間、また来週

5.何でも嫌々するより、楽しみながら取り組むのならば、歩き始めた地点からいつの間にかはるか遠くにたどり着いている自分に気がつくもの。長い電車旅行も、稜線にゆっくりと沈む太陽のグラディエーションを眺め、徐々に増える民家の灯りを数え、一つ一つの灯りの中でどんなドラマが繰り広げられているかと想像することで、豊かに楽しむことができる。山道を行く車の中でも、言葉遊びに夢中になることで、あっという間に目的地にたどり着く。じっと我慢して揺られているよりも、楽しみを見出だしていける。苦手なマッシュルームも、自分で栽培することで口に入れるのが嬉しくなり、山積みの宿題も、細分化し小さなゴールを散りばめることで、達成感の楽しみを積み重ねていくことができる。気が向かない仕事も、愛する家族に健やかな環境を与えられるようにと思えば有難い機会に見え、掃除も、家族やゲストが気持ちよくくつろぐ笑顔を思い浮かべると、嬉しくなる。だだをこね言うことを聞かない子供も自我が育っている証拠、家が散らかるのも、子供が元気に遊んでいる証しと思うのなら、余裕を持って子供達に接することができるだろう。目を凝らせば、あらゆるものに喜びの芽を見出せる。喜びを見出し続けるのならば、努力を努力とも思わず、はるか遠くに飛んでいくことができる。
 小さな子供が、片づけが嫌だというのならば、「この電車は車庫に帰る時間だね、しゅっぱ~つしんこ~、しゅっしゅっぽっぽ」「お人形さんもう眠いみたいだね、ミルクをあげてベッドで寝かしてあげよう」お風呂が嫌なら泡遊びの楽しさを思い出させ、嫌々と首を振る目の前に、楽しい要素を並べることで、しかめっつらに輝く笑顔が戻る。小中学生の子供でも、より現実的論理的に「喜び」を思い出させることで、前向きに物事に取り組み始める。整理整頓し、窓を開けフレッシュな空気を取り入れたときの気持ちよさを思い出させ、ヘルシーな食べ物がいかに身体の糧になるのかを図鑑を見て話してみる。
 中学生になり、のんびりしていた小学生時代からは打って変わり、宿題や課題の量も一気に増えた長男。最近少しずつペースを掴みつつある。長男との話し合いで、互いに納得したのが、山積みのワークに「喜び」を見出すということ。ひとまず、三つの喜びを整理一つ目は、目標をかがげ、その目標に一歩ずつ近づく喜び。目標というのは、「○○になりたい」という長期的な夢から、明日までに終わらせるという短期的なものまで。長期的な夢は、常に思い出せるよう壁にインスパイアリングなポスターなどを張っておく。難しい課題も、夢に近づく一歩ととらえるのならば、乗り越える力が湧き上がる。二つ目は昨日知らなかったことを知る分からなかったことが分かるようになる、そんな学ぶこと自体の喜び。一つ一つの課題が喜びを味わう機会。三つ目は達成した後の報酬の喜び。ゲーム、テレビ、友達と出かけるなど、終わった後の楽しみを用意する。これら三つの「喜び」を意識的に散りばめ、「喜び」にフォーカスすることで、よしっ!と課題に前向きに取り組む力が湧き上がる

6.サッカー場をイメージしてみる。端に置かれたゴールからゴールまでかなりの距離がある。サッカー選手は試合中、ジグザグや円や直線や、様々な軌跡を描きつつ、何度も何度もこの間を行き来する。それでももし「ボール」がなかったのならば、これらの動きも一分たりとて続かない。「ボール」があるからこそ、「ボール」を手にする前には、想像もつかなかった距離を何度も何度も行き来することができる。この「ボール」こそが、「喜び」。「喜び」にフォーカスする。そうすれば、「喜び」を手にする前には想像もつかなかった距離を行くことができる。

7.今から九年前、精神と身体を病んだことがある。発狂してしまうのだという強烈な不安感に、毎晩眠ることができず、パジャマで裏庭を徘徊。頻繁に起きる回転性めまいに運転もできず、日常生活もままならない状態。三歳と一歳の乳幼児二人を抱え、お腹には新しい命。病院で出される薬を、妊娠中だからと拒否し、食事療法と針を続け、半年続いた症状は次第に回復に向かった。私自身にとって、世界がひっくり返ってしまうような苦しみだったけれど、それでも今振り返ると、あの体験がいかに自分を強くし今生きる上での支えになっているかを思う。あの体験があったからこそ、今こうして普通に暮らせることへの感謝の気持ちに溢れ、何を選択することで自分の精神と身体を傷つけてしまうのかを、学んだ。あの辛い体験があったからこそ、どんな方向へ進んだらいいのかが見え始めた。それまでの私は、すぐに心が折れてしまい、病気がちで、あのままでは五人の子供を育てることなどできなかったかもしれない。子育てというのは、日々様々なことが起こる。病気になる以前の私だったら、心配と不安とでとっくに動けなくなっていただろう。
 今困難や試練に出会うと、ああ今度は何を学ぶ時期なのだろう、そう思うことができる。目の前にそびえる壁は、また一つ乗り越える術を学ぶ機会。一つ壁を乗り越える度、次の壁を乗り越えるための智恵と筋肉がつく今では、難しい状況の中でも、時に悲しみ苦しみながらも、よし今度は何を学ぶ時期なのだろう、そう心の底で喜びにも似た気持ちを持つ自分がいる。「喜びを見出す」とは、例え目の前の状況に涙を流しながらも、深く心の底から湧き上がるこんな「喜び」も含まれるそしてこんな喜びこそが、どんな状況に置かれても進み続ける力を与えてくれる。

8.温もりに繋がりつつ、自身の最善を尽くす

今週末は久しぶりに雪が降ると予報も。長男長女と水泳競技会、トロピカルな屋内で過ごす土日になりそうです。

Have a wonderful week!