ゲド: 常に”死に損ない”になっている無謀な男(の子)
テナー: なんだかんだで子供がいてよかった~
テルー: 「しゅきっ!」
アレン: 「おおおおおー!」
アニメはジブリよりもIGで作るべき内容だったかもね。
- 『影との戦い』少年ゲド 自尊心の高い馬鹿で迂闊な才能(力)をもった男の子 魔法学校(おお、ハリー・ポッター)で死者のドアを開け(ハガレン)大怪我で死にかけ、大賢人が犠牲になる。
- 『壊れた腕輪』青年ゲド 魔法の力が弱くなる場所、ほとんど死にかけ。テナーが気付かなかったらおわり。
- 『さいはての島へ』壮年ゲド アレン(その後の王)と竜の棲む海へ ケガで死に掛け、死の国で死にかけ。
- 『帰還』初老ゲド 竜の背に乗って死にかけで帰還。テナーと初体験。
- 『アースシーの風』脇役ゲド みんながテナーに甘える「あーすしーかあさん」状態 死者の国の石垣を破壊、それは魔法と竜たちとの決別
- 別巻『ゲド戦記外伝』 「トンボ」は「ドラゴンフライ」の方が良いと思うよ。ドラゴン(オーム・アイリアン)の話なんだもん。
結局ね、2.と後半は女性を主人公にすべきストーリーであり、ゲドは主人公ではなかった。彼は世界のねじれから生まれた変革をもたらす力に過ぎない。一本のストーリーで作るのであれば、中心になるべきは女性であったのだ。
アニメ映画でゴローちゃんは1.のゲドから抜けられずに「ああいった作品」を作ったんでしょうね。アレンにゲドの少年時代を肩代わりさせ、上手い事作った気になってしまった。でもそれは、ゲドだから開けてしまった(開けられた)ドアではなかったか。しかも、アレンはすでに影に食われていた。そして光を恐れていた。だから原因のおかしいその設定は光と影、死、人と竜、この世界観を根本から崩すものだ。とうぜん、原作を読んだ人間には納得できるものではない。そしてジブリファンには「ルパン」「ナウシカ」「ラピュタ」「千」「もののけ」などのつぎはぎにしか見えなかっただろう。それ以外の人であれば、それなりに。
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