「安部公房全集024 1973.03-1974.02」 1999新潮社(20072刷)
現代の引きこもりの言い分のようなものも出てくるが「箱男」は引きこもり大予言ではない。対談やエッセイを読んでやっと作品がわかってくる。まあ、読んでも理解できないが。読者としてかってに喜んでいればいいのだろうが、全集の中で読めばどうしても読み方が変わる。
清潔になった社会では箱男は通用しない。家に引きこもるしかないだろう。そこからでも社会は覗けるのだから。しかし、覗いているつもりで実は覗かれている。
6年ぶりの小説だという。
演劇にのめりこんでいる様子はよくわかる。でも、それは逃げかもしれないと思っている。小説を書いた方が金になるというようなことも言っているが、それは演劇への愛情の証明というよりも小説から逃げる言い訳に見えないか。おそらく生活には困らないだけの金が十分にあり、慌てて小説を書く必要もない。そんな状況だから逃げている言い訳に他の忙しい状況を作り出す。芸術家を気取って威張れる場所。確かにその労力は大変だろうが、ある程度頭で考えたり実験したりして常に目の前にやるべきことがある状況が安心につながるのではないか。小説を書くということはきっと不安を伴うに違いない。そこからの逃避だったとしてもおかしくはないはずだ。
で、「安部公房 演劇」で検索したら、2004年に「安部公房の演劇」という本が出ていたらしい。しかし、検索のヒット件数は少ない。
あ、「安部公房の冒険」という演劇が2014年に佐野史郎主演で行われていたのか。やっぱりそれなりにその世界では残っている人なんだな。育てた俳優たちもそれなりにいるみたいだし。
「箱男」も「愛の眼鏡は色ガラス」もともに深読みをして何度も読み直せる作品に違いない。しかし、どのような読み方をしても全部否定されそうで気持ちが良くない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます