ばら色の生活が待っているわけではない。
自分の事は自分で責任を持つ。そんな厳しさを伴う。
全てのサービスをお国任せにして、あらゆる責任を回避したい市民には辛い選択。
だが、最終的責任はサービスの低下や負担の増加として市民に返って来る。
だから、今まで通り「楽な奴隷」として思考を放棄して、画一的で非効率なシステムを継続するのか、それぞれの地域で自分たちの考えで責任を持って管理をしていくのか、将来的な見通しの中で多くの市民が後者を望む時に地方分権が可能となる。
将来への不安から世の中が変わってほしい。
ただ、それだけで地方分権に賛成した時、覚悟無しで地方分権を選んだとき、その責任と負担の分担に失望することになる。
だが、多くの市民が社会参加の実感を持てるようになり、生きることに喜びを見出すようになるという期待も大きい。
地方分権が進むということは、自分勝手な生き方をしたい人間には辛い世の中になるということだ。
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