「盲目的な恋と友情」辻村深月 2014新潮社
辻村さんは「上」の人たちが好きだよね。
前編の「恋」の終わり方で、とってもニヤニヤさせてもらった。
瑠利絵の心情を深読みさせてもらったわけですよ。
妬みと口実と、そして独占欲と。
ところがですよ、後編の「友情」で答え合わせ的なもう一人の登場人物から見た同じ状況は、そこにある瑠利絵の蘭花への読者的(客観的)な目線に納得しつつも、いやいやそのひっくり返しは辻村作品的にはありだろうけど、ちょっと味わいを欠くことになったわ。なんて思いつつ、さらに二人の気持ちと将来を予想した時、あらこれ結構すごいハッピーエンドじゃね。大した罪にもならないし、執行猶予は鉄板でしょ。その結婚はどっちになっても問題なし。憎しみでも生まれようものなら、もうそれを喜んじゃう関係でしょ。ああ、たまらん。
周りが見えなくなって自分に都合よく解釈しようとする姿もおかしいが、正しくあろう、上手く生きようとして自分の本当に欲しいものを見失ったりとする姿も滑稽だが悲しいね。
蘭花は茂実との将来を計算づくで見られれば、友人たちに菜々子のことは話しちゃいけないわけだが、独占欲と教育的倫理観と恋愛(社会)経験の未熟さからそうなるしかなかったわけだ。菜々子に負けないくらいにずぶとくなれれば、逆に菜々子と旦那を利用して茂実を引き上げることができただろうにね。
ちゃんと『先がない』と気付いても切れないあたりが盲目的なんだろう。
瑠利絵の友情も盲目的になっていたあたり、皮肉なラストなのだった。
タイトルの意味は「盲目的な恋」と「友情」ではなく、「盲目的な恋」と「盲目的な友情」だったんだね。