長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『さよなら、私のロンリー』

2021-10-06 | 映画レビュー(さ)

 ミランダ・ジュライの新作『さよなら、私のロンリー』(原題Kajilionaire)は冒頭、エヴァン・レイチェル・ウッド扮する主人公オールド・ドリオが盗みを働く場面から始まる。防犯カメラをくぐり抜けていく姿は何ともユーモラスだが、これは『万引き家族』でリリー・フランキーが子供と一緒に万引きをするシーンと同じ意味がある。彼女はリチャード・ジェンキンス、デヴラ・ウィンガー演じる両親のもとで窃盗と転売を繰り返す“万引き家族”であり、その実行係なのだ。“オールド・ドリオ”という奇妙な名前はかつて宝くじに当たったホームレスに由来しており、我が子として微塵の愛情もかけられてこなかった事がよくわかる。彼らの住まいは化学薬品工場に隣接する古びたオフィスで壁からは終始、工場の廃液が漏れ出す。かれこれ家賃はもう3ヶ月滞納していて、大家からは文字通り身を隠す毎日だ。

 エヴァン・レイチェル・ウッドの性格演技に注目してほしい。髪は伸ばし放題、ぎこちない歩き方からはオールド・ドリオの抱える生きづらさが見えてくる。そしてびっくりするほど低い声でボソボソと喋る。僕は2014年にエヴァンが主演した『ベアフット』を思い出した。この映画でも彼女は心に傷を負ったヒロインを演じているが、そのアプローチは『さよなら、私のロンリー』と大きく異なる。エヴァンは可愛らしい高音で喋り、男にとって都合のいい、純真無垢な聖女を演じているのだ。

 かつて天才子役として登場し、その美貌と演技力で10代から活躍してきたエヴァンも、多くの子役同様に20代はキャリアを低迷させた。作品選びに精彩を欠き、何より19歳年上のマリリン・マンソンとの結婚は彼女の人生に大きな傷跡を残した。2021年、エヴァンはマンソンから度重なる虐待、洗脳を受けていたことを告白。時同じくして複数の女性からもマンソンによって同様の被害を受けていたと声が上がっている。

 そんなエヴァンのキャリアを復活させたのが2016年から始まったHBOのTVシリーズ『ウエストワールド』だった。マイケル・クライトンの原作小説をジョナサン・ノーランとリサ・ジョイが複雑怪奇にアレンジした本作は、人間に蹂躙されるアンドロイド達の目覚めを描き、それは時の#Me tooにも呼応して女性を解放した。エヴァン演じるドロレスは純真な牧場主の娘という役割をプログラムされ、男たちに陵辱されては記憶を抹消されてきた。しかし、自我に目覚めた事で彼女は西部の無法者の人格を獲得する。可愛らしい乙女の声は無法者のドスの利いた声色に変わり、この低音こそが彼女の地声なのだ。以後、ドロレスは性別を超越し、エヴァン自身もバイセクシャルとして、そして性暴力のサバイバーとして声を発信していく。いたいけな美少女というジェンダーロールを課せられ続けてきたエヴァン・レイチェル・ウッドは、自身の“声”を手に入れたことで解放されたのだ。

 オールド・ドリオはジーナ・ロドリゲス演じるメラニーとの出会いによって、毒親の支配から脱却していく。心を閉ざしていた彼女にとってその原動力が恋心であることは知る由もないが、モチーフとして登場するブレストクロール(=母親のお腹に乗った赤ん坊が無意識のまま乳房を探り当てる)の如く、人が人を求めることに理由はない。そしてかつてロバート・アルトマンが3時間の果ての大地震で人生を描ききった『ショート・カッツ』のように、LAを舞台にした本作もまた地震の末に宇宙にまで到達し、オールド・ドリオを解放するのである。自分の声を見つけたエヴァン・レイチェル・ウッドはもう自らを偽ることなく、彼女自身の投影を演じることができるのだ。


『さよなら、私のロンリー』20・米
監督 ミランダ・ジュライ
出演 エヴァン・レイチェル・ウッド、ジーナ・ロドリゲス、リチャード・ジェンキンス、デヴラ・ウィンガー


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