長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『猿の惑星 新世紀(ライジング)』

2020-05-24 | 映画レビュー(さ)

 クレバーでスリリング。ハリウッドブロックバスターとして申し分ない大ヒット作だ。古典傑作SFの精神はそのままに、大胆にアレンジを施して現代性を得る事に成功している。公開当時の2014年はテロの脅威はもちろん、エボラ熱の蔓延や極右の台頭によって世界が不安に包まれていたが、2020年の現在もまたコロナウィルスの脅威にあり、観客は背筋を冷やしながら映画にドップリと浸かる事だろう。

 ルパート・ワイアット監督からメガホンを引き継いだマット・リーヴス監督はパフォーマンスキャプチャーに革新的な演技表現をもたらしたアンディ・サーキス扮するシーザーを主人公に据え、サル達の視点で“ヒトはなぜ殺し合うのか”という根源的な問いかけをしてみせる。サルインフルエンザの蔓延により人類が死滅した事でサル達は自らの理想郷を作り上げ、文明を発展させつつあった。文字を覚え、“サルはサルを殺さず”という倫理が構築された社会は僕らのそれと何ら変わらない。ところが生き残った人間が現れた事でそこに相反する2つのイデオロギーが生まれてしまうのである。人間は猿を虐待をしてきた。ヤツらは罪を贖っていない。ヤツらはいつか攻め込んでくる。膨れ上がった不安と疑念がやがてコバ率いる武闘派を増長させ、社会が暴力と恐怖に支配されていく様は僕らが何度も繰り返し、そしてこれからも繰り返しかねない姿ではないか。

 自分を愛し、知性を授けてくれた人間との思い出を胸に何度も共存と平和の道を模索するシーザーの苦悩と葛藤をサーキスは威厳を持って演じ、ほとんどシェイクスピア劇のようですらある。リーヴス監督は人間側のドラマをほとんどオミットし、人物背景を描かない事で新シリーズがシーザーのサーガである事を決定づけた(ジェイソン・クラーク、ケリー・ラッセル、ゲイリー・オールドマンら演技派陣が支えている)。

 “サルはサルを殺さず”という掟を破った者にシーザーは言い放つ「オマエはエイプではない」。殺めようとする者は人でなしであり、そこには悪意が介在する。猿達による新世紀を迎えたシーザーは種を守るために他者を、ひょっとしたら同族をも粛清していかなくてはならないのである。まだ見ぬ明日へ決意の眼差しを向ける彼の姿に、第3部への期待が高まった。


『猿の惑星 新世紀(ライジング)』14・米
監督 マット・リーヴス
出演 アンディ・サーキス、ジェイソン・クラーク、ケリー・ラッセル、ゲイリー・オールドマン、トビー・ケベル、コディ・スミット・マクフィー
 

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