ロシアの立つ瀬がない。まるでない。ロシアが変に言い訳するものだからみんなの機嫌を損ねたのだ。ロシアはなおも言い訳を続けている。それが逆効果であると、気づいていないようだ。言えば言うほどロシアの立場は悪くなる。悪くなるどころか、その言い訳のために窮地に追いやられるほどだ。ロシアだっていい所はあるし、それはみんな知っている。ロシアがいわば縁の下の力持ちとして陰で支えている部分がどれだけ大きいか知っている。感謝している、ロシアいつもありがとうと心ではそう思っている。だからロシアが言い訳し出したときにはなんとなく、いやな感じがして、それはいやわかっているよ、そういう全部わかったうえでやってることだから、と言った所で関係ない。お前がどう思っているのかなんてこの際関係ないから、もう少し周りを見た方がいいよロシア。ロシアに伝えず行き先はユニバーサルスタジオジャパンに決まる。
ミジンコを机の上に放置してから3日が経つ。ミジンコは息絶えるどころかますます元気に机の上を泳いでいる。泳ぎながら机の上にある無数の微生物を口の中に含み、生きている。本来水の中で生活している生き物であるし、空気中で生活ができるはずがないのだ。しかし実際生活している。突然変異と言うやつかもしれない。ミジンコは口をぱくぱくとした、もうすぐ週末で、それを楽しみに生きている中年の笑顔だった。ミジンコも立ち上がる。
何をしているのか定かでない。生活を送っているだけなのかもしれない。何せ情報がほとんどない。与えられるのは集に一度だけの英字新聞、実質何も読めない、なぜなら私は日本人だから、ろくに英語の勉強もしてこなかったし仕方がない。写真で何となく内容を想像して楽しむ程度だ。そのうちそんな情報にどれだけ意味があるのかと全く読まなくなった。それでなくても忙しいのだ。島にはすることがたくさんある。生き延びるために食料を調達することもその大きな一つだ、自然がまるまる残っているから食料はちょっと探せば何でも食べられた。農薬などいっさい使っていない全くの天然物だった。それは、美味であった。私は人に自慢できるような食通でないし、だから毎日毎日作っていたわけであるし。
それは手を振っているように見えた。だからみんな二の足を踏んで助けにいかなかったのだ。別に社長が嫌いなのではない。断じてない、ただ、楽しそうに社長がふざけて、みんなこいよこっちはたのしいぜ、と言わんばかりのテンションで読んでいるのかと思っていたのだ。どうも様子が違い、社長が必死になっていると気づいた時はすでに初めから考えれば1時間が経過しており、社長の体力もあとわずかと言う状態であった。最後の力を振り絞って社長は助けを求めた。それだけが生きる意味であった。社長は様々悪いこともした、良いこともした。平凡に生きてきた。ないを溺れているときに無視されるいわれがあるのだ、と憤慨した。憤慨した所で何も変わらなかったわけであるが、そうでもしないと収まりがつかない。やばいぞこれは、と誰もが思ったとき、社長がちょうど助けを呼ぶことを諦めた時であった。ひとりのためにそれ以上の犠牲は出せない。との判断から撤退が命ぜられた。誰もふまんであった、せっかく練習台としてよいものがあるのに、あと数時間で老人は死ぬ。だから死ぬ前にせめて、と社長はばたばたと脚で蹴って