夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

死刑執行に判を押した人・その続き

2009年06月09日 | 政治問題
 足利事件を受けて、取り調べを可視化するべきだ、との声が更に高まっている。冤罪はすべて密室での取り調べが原因になっている。それは誰もが疑わない。記録が残るとなれば、今までのような無法な事は出来なくなる。
 それなのに、森法務大臣は次のように言った。
 「全面的に義務付ければ被疑者に供述をためらわせて取り調べ機能を損ない、真相解明に支障をきたす。現段階では全面的に容認する方向での検討は難しい」

 ホントに馬鹿言ってんじゃないよ。
 被疑者に供述をためらわせる事と、嘘の自白を強要する事と、どっちが危険だと思っているのか。さすが、冤罪の疑いの濃厚な飯塚事件の久間三千年さんを、法務大臣就任わずか1ヶ月で死刑執行に判を押した人だけの事はある。久間さんについては、弁護団が死後再審の申し立ての準備を始めている。
 きのうも書いたが、この森と言う人は法曹畑の人ではない。大学で工学を学んで、政界に入ってからはずっと労働関係だった。なるほど、労働者と資本家と言う構図の中にあって、常に資本家側に立って来た人なんだ。だから、その姿勢がこうした捜査手法の検討の場合にも発揮されてしまうんだ。常に権力側の味方なんだよね。

 冷静に考えて、取り調べで全面的に可視化する事がそんなに被疑者にとって不利になるだろうか。そりゃあ誰だってすねに傷が無いとは言えない。自分が不利にならないようにと思えば、洗いざらい出してしまう必要もある。それがネックになる事だってあるだろう。だが、そんなのはほんの小さな事だ。罪に陥れられるのとどっちがためらわれる事だろうか。今更言うまでも無い。
 御殿場の少年の事件だって、被害者と称する少女が事件の日を当初の証言から一週間ずらした。少年達はその間違ったとされる日にやった、と全員が自白している。こうした辻褄の合わない事が全面的な取り調べの可視化で無くなるはずだ。証拠が残っているのだから、どちらがおかしいのかは誰の目にも明らかになる。
 多分、森法務大臣はそれが怖いのだろう。もしかしたら、警察や検察からの圧力が掛かっているのかも知れない。そんな疑いを持たれてしまうような今回の言動である。