夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

JR西日本の悪辣さがぞくぞく

2009年10月19日 | 社会問題
 取締役で前社長の山崎正夫氏が辞任すると言う。でも残念でした。もう手遅れだ。事故調査委員会から調査報告を漏洩させたり、公述人として自分達の息の掛かった人間に立ってもらおうとしたり、警察の取り調べに、社員にあらかじめ答を想定させておくなど、様々な画策をした。自分達がずっと主張して来たように、JR西日本には事故の責任は全くないのであれば、何も汚い事をこそこそとやる必要は無い。堂々と思った事を、信じていた事を話せばそれで良い。いや、それしかやる事は無い。
 結局は、ありとあらゆる手を使って責任逃れをしようとしたその魂胆だけが、大きく浮かび上がってしまった。そしてその汚い根性は決して山崎氏一人の物ではない。全社員と言ってしまっては間違いになるが、少なくとも上層部の人達の共通の根性であるはずだ。

 首都圏の人達はあまりよく知らないが、JR西日本は路線を不自然に切ったり、繋いだりして、新たな路線名を付けた。我々がある一つの新聞だけで目にしたのが「JR宝塚線」である。これは正式には「福知山線の半分ほど+東海道線のごく一部」である。そんな事、首都圏の人間は知らない。だから記事は「JR宝塚線(福知山線)」のような書き方をしていた。それがひどい時には単に「宝塚線」になる。もちろん、他のメディアはそんな馬鹿な事はしない。きちんと「福知山線」と呼んでいる。
 上に挙げた「東海道線のごく一部」とは尼崎―大阪で、これは当然に東海道線と重複する。そうした無理をしてまで「愛称」を付けるのは、阪急の宝塚本線と競合すると考えているからだ。確かに始点と終点は同じだが、途中の経路が大きく違う。しかしJR西日本は同じ路線なんだから、速くて安い当社に是非お乗り下さい、と言っているのである。速いったって、全線でわずか7分。しかもこれだって、最速の列車をとっているだけの事のはずだ。
 同じ事を「京都線」「神戸線」でもやっている。これらの不自然な路線名の付け方は福知山線に同じ。これも阪急の「京都本線」「神戸本線」と競合する。

 全く汚いやり方である。私鉄はずっと長い事、地元の足として活動して来た。JRは元国鉄だから、全国が対象だった。地元は私鉄に任せておけば良い。それが民営化した途端、地元にまで目を向け、私鉄が努力して培って来た乗客を横取りしようとする。この事は、明確に、事故当時の新聞の記事として書かれている。
 そうした高速化や過密運行によって客を奪おうとした事が、あの事故に繋がっている。直接に繋がっていないとしても、そうした考えが事故を招き易い体質を作り上げた。すべて上層部の責任である。そうした責任を感じているからこそ、こそこそと汚い手を使った。
 私は何年か前に、大阪の知人に尋ねた。「JR京都線」とか「JR神戸線」って納得できますか、と。答は「よく分からないけど、何か、そないな事言うてはるなあ」と言う感じしか持っていないと言う。
 交通機関はどのような物でも公共の物である。資本主義下での商売だから、利益が目的になるのは仕方が無いとしても、何 が何でも金儲けではないだろう。私の持論は、利益が目的なら交通機関を経営する事から手を引け、である。列車やバスが大好きで、どうしても交通機関の経営をしたいと言う人にだけその権利があるとさえ思っている。安全と便利のためには様々な努力が必要だから、そのお礼として生き甲斐に出来るような利益を差し上げよう、くらいである。大幅な黒字なんか要らないのだ。
 もちろん、その黒字を赤字になっているへんぴな地域の交通機関の運営に回す、と言うのであれば、利益は大きくたって良い。だが、みんな自分の事しか考えていないから、他社が赤字だって、自分の所さえ儲かっていればそれで良し。だから本当は国鉄は分割民営なんかじゃなくて、一括で良かったのだ。もちろん、民営なんかも不要。しかし民営にしなければ、つまりは目の前に儲けと言う餌をぶら下げない限り、あのぬるま湯に浸かったような体質からの脱却は出来なかった。
 腐っても鯛、とは言うが、JR西日本の場合、そのことわざは通じない。腐った鯛は処分するしか無い。