夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

花火大会が二日続いた

2010年08月02日 | 社会問題
 一つは隅田川の花火大会。江戸時代からの伝統行事である。我が家から北西に当たり、高層マンションに遮られて見えない。テレビで見るしか無い。ただ、音は聞こえる。もう一つは地元の花火大会。それは完全に見える。
 花火はやはり直接見るに限る。最近は凝った花火が多くなった。コンテストもあるから、余計に拍車がかかる。けれども、私にはそれは面白くも美しくもない。私は花火にストーリーは不要だと思っている。豪華に派手にドカーンと上がってくれればそれで良い。きれいな大輪が夜空にきらめき、色が変化し、消えて行く。その一瞬の輝きこそが美しい。
 一つずつ楽しむのも良いが、数え切れないほどの乱発もまた楽しい。一発いくらかかるんだ、なんてさもしい事は考えずに、どうせ他人の金なんだから、豪勢に楽しめばそれで良い。

 でも東京はどんどん高層ビルが増えて、花火が見えなくなりつつある。旧盆に上がる東京湾の大花火大会も、以前は5階から全部見えたのに、今では12階からでも半分ほどしか見えない。
 高層ビル街を歩くとビル風がひどくて、安心して歩けない。以前、日本電気だったか、本社ビルをビル風を防ぐためにビルの中程に風穴を開けて建てて、話題になった。しかし今では、そのような事を考えているビルなど皆無のようだ。
 誰も彼もが自分の事しか考えていない。高層ビルを建てても、どうせそこに居住するのは他人なのである。自分はもっと住み心地の良い所でのうのうと暮らせば良いのである。

 都会の良さを味わいながら、都会の不都合さをぼやくなど、勝手と言えば勝手である。でも今の東京を見ていると、計画性が無いと言うか、勝手気ままと言うか、土地は俺のもんなんだもんねえ、と言う態度が見え見えなのである。
 土地は、元はと言えば、国民全員の物なのである。開墾、あるいは干拓した人の努力と苦労は認めるが、だからと言って、その土地全部がその人の物になる訳ではないはずだ。石油にしても限りある資源だから大切に使おうと世界中が考えている。土地も同じだと思う。