夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

駅のエスカレーターで現在の日本を見る

2010年08月04日 | 社会問題
 電車を降りてホームのエスカレーターに乗る時、たいてい私は右側を歩いて上る。なぜなら、左側はずらっと人が並んでいて、なかなか乗れないからだ。階段はちょっと辛いので、エスカレーターに乗りたい。でもあまり待つのは嫌だ、と言う自分勝手な思いが原因である。
 しかし、そもそもは二人並んで乗れるエスカレーターに一人しか乗っておらず、しかも前の人とは1段置いて乗る、と言う習慣が原因なのだ。だからホームにずらっと列が出来てしまう。どちらも理由は分からなくはない。東京では右側を、大阪では左側を空けて乗るのは、急ぐ人が歩けるように、との配慮らしい。でも馬鹿な事を考えるものだ。急ぐなら階段を使えば良いのである。だが、階段は嫌だ、でも急ぎたい、と言う勝手が横行する。
 一人分空けて乗るのは、他人と接触するのが嫌だからだ。それは分からなくはない。だが、それが当たり前なら、エスカレーターを製造する会社は一段空けずとも他人と接触しないだけの段の奥行きがある物を作るべきではないか。
 乗る側が悪いのか、作る側が悪いのか。
 電車の座席もそうだ。7人座れる所に6人しか座らない。隣の人と少しでも間を空けたい。だから電車を作る側は一人分の尻がすっぽりとはまるような窪みを持ったシートを作った。しかしそんなのは平気で無視する。仕方が無いから、座席を仕切ったり、今は座席の外側にポールを立てて仕切っている方が多いが、強制的に、ここは4人座るんですよ、ここは3人ですよ、と教えなければならない。まるで幼稚園である。
 4人席に3人はあまり空きが目立たないが、3人席に二人は目立つから、きちんと座れる。それでも守れない奴が居る。別に肥満でもないのに、と言うよりもやせ形なのに、どっかと平気で1・5人分を占領している。みんな遠慮をして、詰めて下さいとは言わない。馬鹿な事である。

 多くの人が他人の事を何とも思わない。自分さえ良ければそれで良し。だから自分が困る立場になっても仕方ないか、とあきらめるのだろう。いや、そうではない。他人の事を思う習慣が無いから、他人によって困らされているとは気が付かないのだろう。そこに居るのは常に自分一人だけなのである。
 だから周りを見てごらんなさい。スーパーのレジでは小銭を出すのにたっぷりと時間を掛けている人が居る。レジも後ろの人もいらいらして待っていると言うのに。それが見えない。通路のど真ん中にカートを置いて商品を物色している人が居る。買い物客は自分一人だけなのだ。
 他人の置いた自転車が出せないような位置に平気で自転車を置く人。改札口を出たとたん、あるいは電車を降りたとたん、その場で止まってしまう人。降りないのにドアの前に突っ立っている人。ケイタイに夢中になって、一人しか通れない狭い通路をのんびりと歩いている人。雨の日、すれ違いでまったく傘を傾けない人。
 もう、言い出したら切りが無い。昔はそうした事はみんな親が教えた。しかし今は教える親がそれを知らない。日常の事でもこんな状態だから、政治とか公務の事になると、それに輪をかけたような情況になる。一つ一つの基本が出来ていなくて、大きな事が出来るはずが無い。
 日本は初めて人口が減少した、と言うニュースを読んだ。もしかしたら、それで良いのかも知れない。このまま自分勝手な人間が増殖するよりもその方が日本のためになるのかも知れない。

1 コメント

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Unknown (流蛍)
2010-08-11 18:42:49
躾の問題もありますが、日本人が他人のことを考えなくなったのは、赤ん坊のときに粉ミルクを飲まされて、牛のDNAが入るからです。

よって、牛の脳にされ、人間らしい行動ができなくなるのです。
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