夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

ケータイの情報ってそんなに素晴らしい?

2010年06月07日 | 社会問題
 毎日地下鉄に乗っているが、乗客の半数くらいは全員ケータイの画面に見入っている。面白い事に、ほとんどがエスカレーターに乗ると同時にケータイを開く。それは立ち止まっているからいいが、迷惑なのはホームを歩きながらケータイを見ている。いや、ケータイを見ながら歩いていると言う方が当たっている。だからのろいし、周りの人が見えていない。それで自分勝手な動きをする。あんた一人のホームじゃないんだよ。
 ケータイの情報ってそんなに有益なのだろうか。片時も離せないほど役に立つ情報なのだろうか。そんな事はないと、私は思う。新聞や雑誌の情報だって、役に立つのはほんのわずかしか無い。そんな役立たずの情報を見る一方だから、自分では何も考えてなどいないだろう。だから簡単にマスコミの誘導にも乗ってしまう。そうか、ケータイの普及に、マスコミは陰で大いに力を発揮しているのか。大手三つのケータイ電話会社が儲かると同時に、マスコミもまた儲かる仕組みになっているのだろう。
 そうやって、日本人からどんどん考える力を奪って行く。あんた達だって同じ日本人なのに、なんでそんな危険な事に手を貸しているのか。もっとも、洗脳されている人間は、洗脳されている事自体を認識していないから、自分のしている事は正しいと信じているらしい。

 日本に来ている外国人達が例外なく言っているのは、自分達の国ではケータイは話をする道具だが、日本では見る道具になっていて、とてもおかしい、と言う事である。道具を使うのではなく、反対に道具に使われている。そうでしょう。話をするには自分が無くては出来ない。しかし、情報を見るだけなら、自分なんか無くたって構わない。なんせ、そこには受け身の自分しか存在していないのだから。
 積極的な自分を見つけようとすると、それはどうしても外見だけの物になってしまう。普段から中身に注意を向けていないから、化粧とか服装とか持ち物とか、そんな物ばかりに目が行く。

1 コメント

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Unknown (ぼんぞう)
2010-06-09 23:52:32
こんばんは。
別に携帯を誰がどう使おうが一向に構わないですが歩きながら人が居ることを気にしないで携帯を見たり、ゲームしたりしているやつを見ると”頭大丈夫?”と思ってしまう。どこまでジコチュウなのか?
世の中全体がその様になってしまっていて
本当に困ります。
人目を気にするといった日本の文化は何処に行ったのやら。
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