夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

安全よりもそんなにカネ儲けが大事か。馬鹿の蔓延がそもそもの原因だ

2011年07月07日 | 社会問題
 九州電力のやらせは、海江田も菅も「けしからん」などと言っているが、そんな生易しいものじゃない。人でなし、人、それでもまだ言い足りない。「人でなし」を国語辞典は「外貌は人間でありながら、恩義や人情の分からない人」などと説明しているが、そもそも、恩義も人情も分からないのではなく、持ち合わせていないのである。自分の持っていない物を分かるはずがない。わずか9日間の大臣だった松本龍もそうだが、そんな人間が現実に存在していて、しかも威張っているのである。松本なんか、あれほど非難囂々だったのに、けろっとして被災地を訪れたりしている。人間の良さを全く持ち合わせていないから、そんな事が平気でやれるのである。人間なら、恥ずかしくて人前には出られまい。

 こんな人間がうようようしていて、社会を牛耳っているのに、何で国民は大人しいのだろうか。何で暴動にならないのだろうか。それは国民の方がずっと人間が出来ているからだ。馬鹿を相手に文句を言っても始まらないと諦めている。でも諦めてはいけないのである。馬鹿の代わりは何人だって存在しているのだから、一人の馬鹿がやめて交替しても、また馬鹿が出て来る。その繰り返しじゃないか。
 「馬鹿」は差別語だとも言うが、そんな事はない。「馬鹿」は「馬鹿」と言うしか無い。そんな事を遠慮しているから馬鹿が蔓延してしまうのである。民主主義おおいに結構。しかし今の民主主義は本当の民主師主義ではない。「人でなし」が「人間の外貌をしていながら、恩義も人情の分からない人」だと言うように、外面だけは民主主義なのだが、民主主義の何たるかをまるで知らない。国民が知らない。

 九電のやらせは独占企業のエゴに過ぎない。それは民主主義とは対立する関係にある。だから、「けしからん」などと言っている場合ではないのだ。日本が本当に民主主義国家なら、国民は民主主義を守るために立ち上がらなければいけない。その結果としては、九電を土下座させて謝らせるか、潰すしか無いだろう。変な所で正義漢ぶったり、良識を示したりするから、民主主義を踏みにじる国賊を跋扈させるのである。