夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

安定せずに何が出来るのか

2010年07月13日 | 政治問題
 参院選で、民主大敗、自民躍進、の見出しが躍っている。それに乗って、自民党やみんなの党党首は、さあ政権交代だ、と息巻いている。世界の事情を私はよく知らないが、こんなにもころころと政権の変わる国があるのだろうか。あるとしても、それではどこからも信用などされないだろうと思う。私だって、どこかから仕事を貰うにしても、相手の社長がころころと替わるような会社では信用が置けない。
 自民党政権では駄目だ、と見限った人々が民主党に乗り換えた。その人々が今度は民主党からほかに乗り換えた。その乗り換え先が自民党であり、みんなの党なのだろう。気持としてはよく分かる。自分が信じられると思った相手が実は信じられなかった。だから信じられる相手を探す。
 それは分かるのだが、それではあまりにも自分が惨めにならないだろうか。自分自身の判断力の駄目さを感じはしないのだろうか。一体、自分は何を根拠に信じたのだろうかと。
 私は今、民主党を支持している。駄目な民主党ではなく、理想的な民主党をである。蓮舫氏のような筋金の入った、頭の良い、性格も良さそうな政治家に代表されるような民主党をである。民主党の駄目な政治家だけを見て、民主党を見限ったりはしない。自民党を支持しないのは、そうした立派な政治家が見当たらないからである。たとえ居たとしても、周囲の古参のそれも金権政治にどっぷりと浸かった古狸たちによって、よってたかっていじめられ、実力を発揮は出来ないと思うからである。

 そして、衆参ねじれ国会だと言い、それがいかにも駄目な事のようにマスコミは言うが、私はそうは思わない。衆参両院を民主党が仕切ってしまう事の方が怖い。一つの法案が簡単には通らずに、色々と「異見」を戦わせ、様々に検討した結果を踏まえて、より理想的に修正される事が理想なのではないか。ねじれ国会で良いのである。
 もしも、下らない、あるいはおかしな「異見」に左右されると言うのであれば、そんな「異見」を出すような政治家がおかしいのであり、そんな政治家を支持した選挙民が悪いのである。ねじれ国会の方が、議員の本当の考えや性格が明確に分かる、と言う利点は無いだろうか。内輪でしゃんしゃん、では実情は分からない。外でもまれる事で実情が明確になるのではないか、と私は思っている。