あの日 あのとき
叫ばずにはいられなかった
私たちは
たとえ
ときがうつりかわったとしても
何かにかりたてられるものが
今もなお
心に潜んでいることを忘れない
私たちが生きた証は
今だけにあるのではない
あの日 あのときがあったから今がある
今があるから 明日が 未来がある
だから私たちは
いつまでも限りなく生きつづけるだろう
(azumi)
今日は、友の誕生日。
久しぶりにメールを送った。
東京暮らしは昨年からだ。
一年はあっという間に過ぎる。楽しい語らいが待ち遠しい。
二日間、同じペースで歩いた。
六時を告げるお寺の鐘の音が少しくぐもった響きを出す。間をおいて打つ鐘の音、しばし荘厳な朝の情景に包まれる。
6;16
朝陽が顔をだした。
前方の小さな橋の袂で手を合わせる人がいた。
何度も何度も手を合わせ、ご来光にお辞儀をしている。信心深い人なのだろう。その後に体操・・・
近づくと顔見知りの方だった。
挨拶を交わした。
わずか四十分なのに、
朝歩きの間、雲が流れている様に見とれていた。
長雨の間、伸びた草丈を刈る作業がある。
これがまた厄介だ。朝だけの作業で、少しずつ、少しずつ刈り取っている。
雷が鳴っていたのに、途中で止まった。
午後から雷雨、止んでまた激しい雨、夜も雨という状況がまだつづくようだ。
野菜の高騰も大変だ。
我が畑も、水はけが悪くドロドロ状態。ピーマン、シシトウの生育はよいが、ナス、トマトも終わりに近い。
キュウリは産直市場でもすぐに売り切れる。
あの日 あのとき
夏の日々 おだやかな秋
やさしい季節はどこに行ってしまったの。
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