家に近い信号は、まだ点滅状態。
朝六時ちょっと前か。
大型のキャンピングカーが横切って行った。
四十代とおぼしき男女。
奥には、子供たちが眠っているのだろう。
車のナンバーは見届けなかった。
向かっているのは、名前の知られた山。管理された施設はないが、緑と、森と、渓流と、空気と、何よりも水がおいしいところ。
生水でも飲める伏流水があちこちに湧き出る。
先年、水無渓谷でキャンピングカーで何日も滞在しているという男性を見かけた。携帯ラジオをかけながら、まな板の上で魚を捌いているところだった。
夫が話しかけた。ヤマメのたたきといきますか。タバコをくわえたたままの笑顔で答えた。
渓流釣りをして、イワナやヤマメを串刺しにして、米をといで、パスタ料理を手早く作って、洗い物をして、あとは寝椅子に寝っ転がって、本を読んだり、昼寝をしたり・・・下着類が干してあったから、川で水浴びもするのだろう。大抵のものが揃っていた。富山から来たようだ。
いいな、悠々自適な人生が羨ましい。私たちは、いくつもある滝を見に来たのだった。
その水無川、山を下ると水の少ない川となって、魚野川に合流するまでに地下に潜ってしまう。
大雨が降ると、とんでもない暴れ川になって、巨岩を運ぶ。それらが小岩となって、庭石になる「八海石」を生み出す。その石だが、我が家の玄関奥、玉石を敷いた坪庭風の場所に大小三個が鎮座している。
キャンピングカーを見かけた時から、ある風景が浮かんでは消え、また浮かぶ。
子供たちと「体験サマーキャンプ」に参加した。
企画者は、よく行く店のオーナーのご主人。
大人たちは子供をサポートするだけで、子供たち主動のもくろみ。
のはずだったが、参加者が集まらない。結局、ご主人が中心でやっていた子供会の子供たち三人、ご主人の娘、私の娘たち、子供六人の参加だった。子供たちの親が加わり、店の常連の若者たちが二、三人と私を含む十二人くらいだったと思う。
定番のバーベキューだったが、子供たちは楽しかったようで、近くを流れる小川で、野菜を洗い、切り刻んだ。
飯盒炊爨は、ご主人が手慣れた動作で米を研ぎ、木の枝を集め、藁を綯い、小石を摺り合わせて火を熾した。枯れ枝の下に隙間をつくって、新聞紙をまるめて点火。それがおもしろくて、子供たちは興味津々。
バーベキューの鉄板を置く重い石は若者たちの役割。大きなテント張りは子供たちも手伝った。
県道から農道を抜け、山と山との谷間にキャンプによさそうな別天地があった。外界からは全く遮断された山裾。
ご主人が借りていた荒れ野に近い農地。タラの芽やコシアブラを栽培し、無農薬で鶏を育て、卵を販売していた。
利益はともあれ、開拓精神、反骨精神を買った。語学にも堪能、饒舌家だった。
バーベキューもたけなわの頃、夕立が来た。雷と土砂降りだったが、子供たちは大はしゃぎ。テントの屋根は滝のような雨水が落ち、下の敷物も濡れた。ほどなく雨は止み、敷物も乾いたものに変えた頃夜になった。
ローソクの灯りの中で、子供たちより大人たちが盛り上がる。
にぎやかなことが好きな長女は、さすがに大人の間では口数も少なくなる。つまらなくなったのか、ごろ寝しているうちに寝入ってしまった。物静かなはずの次女、大人たちの話に加わって会話を楽しんでいた。いつのまにか成長している娘に感心したのだが、話の内容はいつか忘れた。
夫は東南アジアに赴任中。娘も一緒だと思うと気が緩んで、つい飲み過ぎた。
眠れなくなった夜の星空が綺麗だったことを覚えている。
誰も起きない早朝、小川の水で顔をジャブジャブ洗ったら、すう~っと酔いが醒めていった。
茄子や胡瓜の漬物の差し入れが届く。お店の裏の女性だった。親切はこんなとき心に浸みるものだ。
飯盒炊爨の炊きたてのご飯と味噌汁、そして漬物、それだけで充分だった。
楽しかったと言う娘たちの声を聞いて、母が待つ家に急いだ。
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