千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

(十六歳の創作)  微風

2011年08月26日 | 日記


 十一

 夏休みに入った。
 フサエもみちのやで忙しく働いている。
 一郎のタクシーもなんの事故も起こさない。平穏な日々―
 一つ変わったのは、新吾が子犬を飼ったことだ。薄茶色の雑種で、友達からもらってきた。里子も犬はかわいい。ご飯の残り物をよろこんで食べてくれる。子犬のめんどうをみるために、新吾はテレビを見にいくことが少なくなった。
 里子もアルバイトを探したが、なかなか見つからないでいたところ、みちのやから声がかかった。
 八月十二日から二十九日まで、店の客足が最も多いという話だった。

 博一は、友人達と逗子にアルバイトに行った。
 昨日葉書が届いたばかり。元気でアイスクリームを売り歩いていると。博一の気持ちが分からないでもない。自宅にいて、父親や義理の母親といることに疲れている気持ちが。
 あれ以来、博一は何度か里子に相談を持ちかけた。よい助言ができるわけでもないのに、うっぷんをはらすことによって心のやすらぎを覚えるのだろうか。       
 里子は、大人の恋愛感情とはちがうかたちで、博一、そして勇の二人を好きになっていた。これが友情というものだろう。勇においては、彼とともにその家庭をも慕っていた。

 そんなある日、木俣家の居間で談笑していた里子のもとに、新吾が紙片を手に持って駆けこんで来た。
「お姉ちゃんに電報だよ」新吾は息を切らしながら里子に紙片を渡した。

 ヒロカズ キトク スグオイデコウ
                 ズシニテ マサキ

 里子はそう白になった。紙片がテーブルの下に落ちた。八千代がそれを取り上げ、顔色を変えた。黙ったまま由起子と勇に見せた。
「私、帰ります」
 里子は落ちつきを失っていた。博一は海でおぼれたのか、不良に因縁をつけられて大けがをさせられたのではないか、何がどうなのかわからないけれど、早く行かなくては。行ってあげなくては。マサキとは、アルバイトを一緒にしている友人なのだろう。
「里子さん、あたしも連れてって」
 八千代はヒロカズなる人物が誰なのか察知していた。とっさの言葉だった。
「八千代、何をいっているの」由起子がたしなめる。
「ママはあたしを子供あつかいにしている。ママは何も知らないのよ。あたしの心なんて知らないんだわ」
「何をいいだすの。ママは何にも知っていませんよ」
「いいの、行くわ。あたしも連れてって。パパは寝室でお休みでしょう。パパの車で、お兄さま運転して!パパにたのんでくるから」
 勇は、妹のいつにない口調に驚いていた。妹が、なぜ、どんな気持ちで言い出したのか計りかねた。
 由起子は顔色を失っている里子に同情していた。
「そうね。列車なら一時間以上も待たなければならないし、パパのを借りましょう。勇、安全運転でね。里子さん支度してきてちょうだい」
 勇をうながし、里子の肩を軽くたたいた。しっかりしてね、そんな心が里子にも伝わる。
「はい、支度をしてきますのでお願いします」
 由起子のやさしさがうれしい里子だった。

 急いで家に駆け下り、大事にしている水玉模様のワンピースを着て、新吾にあとを頼むと、また大急ぎで丘を駆け上った。

 十二

 博一はどうにか命だけはとりとめた。
 やはり海でおぼれて、海水を多量に飲んでいた。アルバイトの休憩時間に泳ぎだしたのがこの結果だった。
 博一は泳ぎがうまいのに、と友人達は口をそろえて云う。遊泳中に気がゆるんだのだろうか。多量に海水を飲み込んだことによる心臓麻痺のようだった。病室では昏睡状態が続く博一を、友人達三人が見守っていた。
 博一の自宅にも電報を打ったが、まだ誰も駆けつけてはいなかった。里子を呼んだのは、いつも博一から話しを聞かされるからだと、一人の友人がそっと打ち明けたとき、里子は顔がほてるのを覚えた。

 十三

 その日の夕方、
勇と里子は病院近くの浜辺の波うちぎわを歩いていた。
 浜には人っ子一人見えない。海水浴場のある海岸は薄く向こうに見える。
 夕凪が音をたてて、足下を行ったり来たりして、涼しい風が二人の身体をなでつける。
「じゃ、やっぱり君はここに残る?」
「ええ、博一さんがかわいそうだから」
「君はすごく親切なんだな―」
「そんなことないけど、親の愛に飢えている博一さんには愛の天使が必要よ」
「愛の天使か」
 勇はたそがれ時のはるかかなたを見つめるような眼をした。
「それより八千代さん、つきっきりなのよ。花を摘んできて活けたり、博一さんを知っているのかしら」
「八千代がいっしょに行くといいだしたとき、内心驚いたな。博一君の名前も口に出したこともないし、知っているはずなんてないんだけど」
「・・・八千代さん、このままにしておいてあげましょう。看病してあげたいのよ。きっとそうなのよ」
「八千代が?」
「ええ、女のあたしには分かるの。博一さんがお宅の前を通るのを見ていたのよ。八千代さん、ひそかに思慕していたんじゃないかしら。博一さんの態度からもそう思うの。名前は知らなかったから、あなたにも黙っていたんだと思うわ」
「八千代がかい?」
「八千代がかいって、勇さんは妹だから信じられないんでしょう。子供、子供だと思っていても・・・でも、電報が来たとき、どうして博一さんと分かったのか疑問だわ」
「・・・・・・・・・」
 勇も分からない。明らかになったのは、妹が大人になっていたことだった。
「そっとしておいてあげない事?」
「・・・君はやさしいんだな」
「またそんな事、当然なのに」
「その当然が、僕らにはできないんだから・・・君、八千代にそんな事をさせておいて・・・君は・・・いいのか」
 勇は立ち止まって、里子を見下ろした。その瞳に憂いがただよっていた。
 里子はびっくりして勇を見上げた。憂いを含んだ勇のそれとぶつかった。
「もう一度、今の言葉言ってよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「勇さん、あなたは―八千代さんが一生懸命看病しているのに、博一さんから引き離せっていうの。そりゃああたしだって看病してあげたいわ。八千代さんの懸命さが美しいと思わない?やきもちやいているんだわ。知らない、もう」
 里子は泣いていた。里子の涙を浮かべた真剣な表情に勇はがくぜんとした。里子は悲しいまでに美しかった。
「里子さん・・・」
「知らないわ、知らないわ」
 里子は勇の声を振り捨てると駆けだした。うす暗く、海水だけが光る砂浜を。 勇は棒のようにつっ立ったまま、里子の後ろ姿をみつめていた。
 里子さん、たしかに僕は嫉妬を感じているんだ。博一君に。君のような心のきれいな人を誰にもとられたくないんだ。
 勇も泣きたい思いだった。敗北者のようにがっくり肩を垂れて、いつまでも動かなかった。

 十四

 それから二日目、自宅でスピッツと遊んでいた勇は悲報を受け取った。
 吉川博一が息を引き取った。
 意識がよみがえる事がなかったようだ。
 勇は打ちのめされた。あれから不快な日を過ごした。
 里子と八千代の顔が浮かぶ。八千代の耐えきれない悲しみの表情。あわれな八千代、彼はそう思わずにはいられない。
 由起子も、顔もみたこともない博一を思って泣いていた。娘の八千代がいじらしくてならなかった。

 八千代はやつれて帰ってきた。髪の毛も乱れて、眼だけがギラギラ光っていた。
 由起子の顔を見ると、泣きだして母の胸に顔をうずめた。
「ママ、ママ」
 八千代はただ泣いていた。
 ようやく落ち着いた頃、いろんな事を話し出した。
「ママはあたしがこんな事をいっても信用しないかも知れない。ママ、あたしはもう子供じゃないわ」
 由起子はおおよその事は勇から聞いていたが、何か打ち明けようとしている我が子をやさしくみつめた。
「ママ、あたし博一さんが好きだったの。はじめは名前も知らなかった。よく庭に出ているでしょう。門の前を通る高校生がいたの。話をしたこともないのにいつのまにか好きになっていたの。
七夕の夜、花火に行ったでしょう。あの時、その人が里子さんといるのを見たのよ。うらやましかった。里子さんのお友達だから好きになっちゃいけないと思って、でも、ずっと胸を痛めていたの。
あの電報を見て、名前であの人だと分かったわ。あたし、自分でも分からないくらいとり乱していたわね。
里子さんと二人、一生懸命看病したの。里子さんも、あたしを変だと思ったでしょうね。でも何も聞かなかった。博一さんは眼をあけないで死んでしまったわ。
博一さんのお父さまも、電報が届いた時、家を留守にしていたんですって。急いで駆けつけて、お父さまが着いてから息を引き取ったの。泣いていらっしゃったわ。
お父さまの車に乗せていただいて帰って来たの。
あたしと里子さん、博一さんが死んでから海ばかり見ていたわ。どこまでもつづく海をながめていると心がやすらぐのよ」
 八千代はさっぱりとした表情になっていた。由起子の顔をのぞきこんで言った。
「ママ、あたしばかに見える?」
「いいえ、八千代、とても美しいお話だわ。大人になってから、こんな事があったのだって思い出すわ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「八千代のは、初恋なのかしら。でも初恋って大切なものなのよ」
「ママも経験あるのね」
「さあ、パパに悪いからないしょ」
「ずるい、でもいいわ。あたし立派な体験したのね」
 八千代はクスクス笑い出した。博一の死はぬぐい去ることができないほど、心は深く傷ついている我が子。由起子は話しかけるのをやめて、八千代を見守っていた。

 勇はベランダの片すみで、自分がここにいるとは気がつかないだろう二人の話を聞いていた。
 初恋か、そんなに美しいものだろうか?
 自分が中一の時、たまらなく同級の女の子を好きになった事があった。つきあうようになって、話にずれがあることに気がつくと、あっけなくさめてしまった。今は女の子に対してはさめたものがある。
 美子も町子も軽井沢に出かけているはず。二人とも近寄らなくなった。
 里子を、ふと思った。
 彼女は家で、疲れ切った表情でいるのだろうか。
 博一が初恋の相手か・・・
 初恋とは、そんなに美しいものか。
 そんな事を考えている自分がたまらなく嫌になってくるのだった。
 彼は、たそがれがおりはじめた庭を歩きだした。

 十五

 八月も十日になって、蒸し暑さをましていた。
 里子は涼しい午前中に、買い物に出た。
 里子も元気を取り戻していた。大きなショックで食事ものどを通らない日がつづいた。
 木俣家にも顔を出していない。あいさつに行かなくてはと思うものの、もう少しあとでと思い直していた。
 十二日からみちのやにアルバイトに出る。
 買い物を済ませると坂道を歩いた。博一とよく顔を合わせた坂道。
 と、博一が向こうから下りてきた。紺のポロシャツに白いズボン。里子は我が眼を疑った。
 勇だった。気まずい思いがして、あわてて眼をそらす。
「里子さん」
 里子は眼を上げた。すぐ近くに勇の身体があった。
「何?」
 あいさつもしないで、里子自身が気がつくほど素っ気ない返事だった。
「夕方近く、あそこを登ってきてくれないかな。外で話したいことがあるんだ」
 勇自身もとっさにでた言葉だった。
「・・・・・・・・・・・」
「都合が悪いのか?」
「ええ、母が病気なの」
「病気?」
 里子はうそをついた。どうしても素直になれない自分。どうしたのだろう。
「だから、今度にしてね。八千代さん、どうしてる?」
「プンプンさ、君が来ないってつまらなそうにしていた」
 勇は里子の顔をのぞきこんだ。瞳が動揺したのが分かった。
「僕、図書館に行くところ」
「図書館?」
「そうさ」
「こんなに早くから?」
「涼しくていいからさ」
「・・・・・・・・・」
 勇は里子の横を通りぬけるように行ってしまった。
 こんな会話を、博一としたことを思いだした。里子は勇の後ろ姿を見送っていた。たくましい肩、長い足、勇はスマートだった。勇の姿を眼で追いかけているうちに叫んでいた。
「勇さ~ん」
 勇が立ち止まって振り返った。
「夕方行くわ~」
 勇は笑いながら手を振った。
 里子も手を振る。
(勇さん!あなたを嫌いじゃないわ。好きよ)
 口ではいえなかっただけだ。
 空は今日も、湖のように真っ青だった。
 さわやかな微風が通りすぎた。

                        終わり。


 朝の花 キンミズヒキ(バラ科)



 朝 稲穂の風景



 PCの友人が逗子に出かけた話を書いていた。
中島みゆきの「船を出すのなら九月」にも触れていたので、
私も、手持ちの(生きていてもいいですか)のCDを聴きながら、ノートのつたない文章をキーに打ち直す作業をした。
 十六歳の私は、逗子にも行ったことがない。都会といえば修学旅行の東京、大阪の親戚しか知らなかった。想像だけで書いた、長くつまらない文章を載せてしまったことをお詫びしたい。



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