なのはな村通信 (都城市 社会福祉法人なのはな村)

宮崎県都城市「社会福祉法人なのはな村」理事長・フジサキが発信するブログ。日々のよしなしごとを、つれづれなるままに。

カリーナの林檎

2012-09-05 14:10:11 | なのはな村日記

「なみだふるはな」の続きの話です。

 

震災後、間もなく「カリーナの林檎~チェルノブイリの森~」という映画の資料を、東京の知人が届けてくれました。

この映画のサイトを作ったことが縁で、本人も観て、ぜひ映画を見て欲しい、上映活動をして欲しい、という依頼でした。

ただ、現実の世界の方が生々しく、原発に関する映画はちょっと脇に置いておきたいという心境でした。

気になりつつも、引き出しの奥に仕舞い込んだままでした。

 

いま、この映画を観たいと思います。

長い間、ごめんなさい、MIYAさん。

気になる方はぜひこちらを。http://kalina-movie.com/

なのはな村にでも、お問い合わせ下さい。

 

今、自分にできること・・・

2003年 チェルノブイリ原発の事故の悲劇を描いた劇映画を日本人である私は制作しました。

2004年 映画『少女カリーナに捧ぐ』は一度完成します。

しかし、当時チェルノブイリ原発事故のことは日本では
ほぼ忘れ去らていました。 まして遠い海の向こうの国の
事故、そんなことに関心を持つ人は多くいませんでした。
公開の目処は立たず途方にくれるばかり・・・
月日は流れ鮮度が失われつつあり、
最新の現地取材映像などを加えて2011年版のカリーナを再編集しました。
それはまだあの311災害の起こる前です。

2011年版の為に 2010年には再度チェルノブイリ及びその周辺へ行って来ました。
ひとことで言えば『何も変わっていない』です。放射線量を計るガイガーカウンターの針は
ビリビリと振れまくり、その数値も異常でした。 原発から半径30キロ圏内は未だに立ち入り禁止。ウクライナ政府軍が道路を封鎖し監視続けています。

今年あのチェルノブイリ原発事故から今年で25周年を迎えた。
そして今年、3月11日、日本の福島で震災と共に原発事故が起きてしまった。
悲しいかな福島原発の事故の反応から日本で、世界各地であの悲劇を風化させない為の運動が国内外で起こり始めています。

映画『少女カリーナに捧ぐ』タイトルを改め、
映画『カリーナの林檎~チェルノブイリの森~』として今年公開させます。

日本は広島、長崎でその放射能被害の恐ろしさをリアルに経験し、世界で唯一の被爆国となってしまった。 さらに今回の福島原発の放射能被害。その被害は今も色々な形で続いています。
25年経ったチェルノブイリ及びその周囲でもその被害は未だ広範囲に続いています。

福島は25年後どうなっているのか・・・戦争の原爆。電力の原発。
放射能は悪魔か、天使か?
映画の後半。主人公のカリーナは悪魔の住むお城(原発)が出す毒を止めてもらいに
たった一人で立ち向かいます。

 

今、自分に出来ることは何だろう… 

映画監督 今関あきよし

 

 


なみだふるはな

2012-09-05 08:30:37 | なのはな村日記

             

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「なみだふるはな」(石牟礼道子・藤原信也の対談)という本を読んでいます。<o:p></o:p>

2012年3月31日から、何度か手にしています。<o:p></o:p>

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ミナマタとフクシマ。九州水俣と東北福島が、奇しくも繋がってしまった日、ワタシとアナタは何をしていたのでしょう。<o:p></o:p>

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震災の直後、石牟礼道子さんは「花を奉る」という詩を書かれています。<o:p></o:p>

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―花を奉るー<o:p></o:p>

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花は何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて 咲きいずるなり<o:p></o:p>

花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを 探さんとするに<o:p></o:p>

声に出せぬ胸底の思いあり<o:p></o:p>

 (中略)<o:p></o:p>

現世はいよいよ 地獄とやいわん<o:p></o:p>

虚無とやいわん<o:p></o:p>

ただ滅亡の世せまるを待つのみか<o:p></o:p>

ここにおいて われらなお<o:p></o:p>

地上にひらく一輪の花の力を念じて 合掌す<o:p></o:p>

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石牟礼 ヤマモモが熟れる時期にも、母は、「欲欲とこそぎ取ってはならん、山の神さんのもんじゃけん。山のあの人たちのもんじゃけん」って、いろいろおりますね。鳥だけじゃなくて、トカゲもアマガエルもいるし、オロチもいるし、サルたちも、キツネも、タヌキも、ウサギもおるし、ネズミもおるし、それを総称して母は「山のあの人たち」「あの衆たち」といっていました。<o:p></o:p>

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又、「インド巡礼」という本の中で、「人間は犬に食われるほど自由だ。」と呟いた写真家の藤原信也氏は、石牟礼さんの言葉を受けて、<o:p></o:p>

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藤原 いまは「あの衆たち」はこの世にはいません。みな畑を荒らす害獣です。(略)<o:p></o:p>

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「あの衆たち」がいなくなってしまって、「欲欲とこそぎ取る輩」だけがこの世にはこびって、その結果がミナマタや、トロクや、フクシマです。<o:p></o:p>

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先日、何気なく点けたTVの中で、自らもやまいに蝕ばれながらも石牟礼さんは静かに語っておられました。<o:p></o:p>

水俣の悲しみに寄り添い、この地で生き、この地で死んでいくという石牟礼さんの諦観みたいなものを、フジサキは感じ取ることが出来ました。<o:p></o:p>

地獄と化した現世の中で、石牟礼さんの浄化された言葉は救いであり、正しい道へと導いてくれる言葉だと思います。<o:p></o:p>

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フジサキもまた、「地上にひらく一輪の花の力」を念じ、信じて生きていこうと思います。その気持が途切れそうになったら、またこの本を開きます。