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野菜の箱に土方歳三の写真が!

2007-04-29 21:10:13 | 日記・エッセイ・コラム

加茂の河原に千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨
今日という日を 命をかけて 新撰組は今日も行く

こんな歌詞だと思った。少し違うような気もする?
Photo_61
「殺戮集団?」 
いつ頃から、新撰組が支持されるようになったのだろうか。大佛次郎の「鞍馬天狗」を映画で見た世代の私には、新撰組は間違いなく悪役だった。皇国史観の影響を受けた本や映画がまだ残っていた時代である。土方歳三が、私の住む日野出身だと言うことを差し引いても、殺し屋集団というイメージが拭えなかった。
 子母沢寛の「新撰組始末記」が読まれるようになり、そして司馬遼太郎の「燃えよ剣」などでイメージが変わっていったのだが、イメージを変えるのに一番貢献したのは土方だろう。函館で戦死する直前に実家に届けさせた写真が残っているのPhoto_62 も大きい。男前の容貌と、貫き通した信念がロマンを呼び起こす。今や日野では、歳三は郷土の英雄であり、唯一随一の名士である。日野産の野菜箱には、歳三の写真が印刷されていて驚く。

「唯一の名士」
 今日、母親のリハビリを兼ねた散歩で石田寺(せきでんじ)へ寄った。土方歳三の墓のある寺だ。いつものように若い女性の集団が来ている。もうすぐ命日の5月11日だ。これから訪れる人がさらに増えるだろう。
 日野は新撰組ゆかりの佐藤彦五郎や六番隊長だった井上源三郎の生地でもある。
 私の長女がまだ幼稚園に通っている頃、帰宅した私は仰天した。張り替えたばかりの障子が穴だらけになった和室の無惨な姿に驚いたのだ。聞けば、長女が近所の男の子とおもちゃの刀を振り回し、全ての障子紙を突き刺したとのことだった。女の子でも、刀が好きだったので買い与えたのだが、まさか新しい障子に突き刺して遊ぶとは思わなかった。
 近所の男の子は、長女より一つ下で、毎日遊びに来たり、長女が遊びに行ったりの仲良しだ。おとなしい子で年下だから、長女が率先したのは間違いないが、「この子とならしょうがないなあ」と思わざるを得なかった。

「新撰組と剣を交える我が長女」
 その子は、INOUEさんちのHIROちゃんと言う子で、なんと新撰組隊長、井上源三郎の家系である。お墓も宝泉寺で一緒と言う。源三郎直系ではPhoto_63 ないと思うが、源三郎の甥で、近藤勇の小姓を勤めた井上泰助とそのHIROちゃんはよく似ている。源三郎は写真が残っていないようだが、泰助は昭和まで生きていたので写真が残っている。
 「新撰組の末裔と剣を交えたなら光栄の極みだ」と苦笑した。

※「新撰組」か「新選組」が問題となりますが、私は隊士の手紙、日記に多く使われている「撰」を取ります。古代からこの時代まで「えらぶ」の意味の字は「選ぶ」でなく「撰ぶ」が使われているようです。幕末から「選」が略字的に使われ出した時代でもあったと解釈しているからです。


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