赤木城は、三重県熊野市紀和町赤木の標高約230mの丘陵上に立地する平山城です。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉が紀伊に侵攻し、在地勢力の抵抗勢力は滅ぼされ、一応平定するが、天正14年(1586年)から天正17年(1589年)には奥熊野で『天正の北山一揆』が発生する。赤木城は、在地の反対勢力を抑える目的と熊野地域から産出する木材の木材伐採のため、北山川(熊野川の支流)流域支配の拠点とするために、大和・紀伊の大名であった豊臣秀長の家臣の藤堂高虎によって築城された。
赤木城は、山頂の主郭から南北に延びる3本の屋根には、東郭(1・2)、西郭(1・2)、北郭があり、東郭と西郭の間の谷間には南郭(1・2・3)がある。高く積まれた石垣や、枡形虎口など近世城郭の要素も見受けられる。赤木城は、江戸時代の改修を受けなかった織豊系城郭の典型例であり、平成元年(1989年)10月9日に国指定史跡に指定された。
[所在地:三重県熊野市紀和町赤木字城山]
<アクセス>JR紀勢本線『熊野市駅』から車で約40分。
駐車場:WC付きの無料停車場あり(約30台)
▼赤木城跡遠望 ▼赤木城跡の看板(駐車場)
▼赤木城の縄張り図
▼南郭(1・2・3) ▼東郭(1・2)
▼東郭(1・2) ▼東郭から西郭への通路
▼西郭(1・2)と東郭からの通路 ▼西郭(1・2)
▼東郭から見る主郭虎口 ▼主郭の門跡
▼主郭
▼主郭の石垣
▼主郭からの眺め
2019/09/22訪城