志摩・取手山砦は、JR・近鉄鳥羽駅の南にある標高62.5mの日和山(ひよりやま)の山頂から南東に張り出した標高50mの丘陵頂部に築かれている。切岸加工された頂部の本丸と北東の尾根に二の丸がある。本丸と二の丸の間には堀切があったと思われる。
鳥羽は保元・平治(1156~1158年)以来、橘氏が代々住みついた所で、志摩・取手山砦は、永正年間(1504~1521年)に橘宗忠(鳥羽主水)が館を構えたところである。永正年間に、橘宗忠は、伊勢国司北畠に属して、志摩の二郡を領し、鳥羽殿と呼ばれ、取手山砦を築いて、往来する船から帆別銭を微収していた。橘宗忠(鳥羽主水)は志摩十三人地頭の一人である。
永禄12年(1568年)に九鬼嘉隆に攻められ降伏し、橘成忠(橘宗忠の父)は娘を九鬼嘉隆に差し出したので、橘宗忠(鳥羽主水)と九鬼嘉隆は義兄弟である。
【所在地:三重県鳥羽市鳥羽1丁目4-65】
<アクセス>JR・近鉄鳥羽駅南口から徒歩約8分(約500m)
▼志摩・取手山砦の概要
▼志摩・取手山砦
本丸は、虎口からさらに一段高いところが本丸
▼本丸の裏側 ▼橋の向こうは二の丸
木が生い茂っている上が本丸 橋の下には堀切がある
▼右回りに登ると本丸へ ▼本丸 切岸加工された頂部の本丸
2020/07/16 訪城