佐和山城は、北国街道と中山道を押さえる要衝に位置する山城。鎌倉時代の初期の建久年間(1190年~1199年)に近江源氏・佐々木定綱の六男佐保時綱が佐和山の麓に砦として築く。その後、佐々木家は六角氏と京極氏に分かれ対立する。
戦国時代に入ると、京極氏に代わって浅井氏と六角氏の抗争によって浅井氏の支配下になります。永禄4年(1561年)、浅井氏配下の磯野員昌が入城。元亀元年(1570年)、姉川の戦の際、磯野員昌が籠城して織田軍と対決しますが、約8ケ月ご織田信長に降伏します。織田信長は重臣の丹羽長秀を配し、本能寺の変後、堀秀政、堀尾吉晴、そして天正19年(1591年)、石田三成が代官の立場でにて入城。文禄4年(1595年)、石田三成が大名として居城し、大改修を行い、天守も築く。
慶長5年(1600年)9月15日の関ケ原の戦で石田三成が敗北し、佐和山城も徳川軍に攻められ、9月18日落城する。石田三成の父石田正継、兄石田正澄をはじめ多くの人々が自刃して果てました。徳川家康は、関ケ原の戦の論功行賞として、井伊直政に佐和山城が与えられました。翌年、井伊直政が死去。子の井伊直継が引き継ぐが、慶長8年(1603年)、家老の木俣守勝は徳川家康に相談し、彦根山への移築を決定し、佐和山城から資材が利用され、井伊直継が彦根城に移ったことにともない、慶長11年(1606年)、廃城となった。
【所在地:滋賀県彦根市佐和山町・古沢町】
<アクセス>JR彦根駅から龍譚寺まで徒歩約20分。龍譚寺から佐和山山頂(本丸)まで約35分。
*龍譚寺前には無料駐車場(彦根市営)が完備しています。
▼佐和山城概略図
▼佐和山城 ▼登山地図
▼佐和山城の概要
▼佐和山城の歴史
▼龍譚寺山門 ▼塩硝櫓跡
▼西の丸
▼西の丸縄張り図 ▼西の丸
ハイキングコースを登っていく
▼本丸の概要
▼本丸の縄張り図 ▼本丸(佐和山城碑)
▼本丸
▼本丸からの展望
標高約233mの佐和山山頂からは琵琶湖や比良山系が一望できます。
2018/10/08 訪城