福井平野に屹立する丘陵上に位置する丸岡城は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥・柴田勝豊によって築かれた。築城者の柴田勝豊は、叔父・柴田勝家の養子に迎えながら、厚遇されなかったことから、羽柴秀吉への従属を余儀なくされた「悲運の武将」として知られている。慶長5年(1600年),関ヶ原の戦い以降は越前領主となった結城秀康が福井城の支城としたが、慶長18年(1613年)、譜代大名の本田成重が入府して以来、独立した藩庁としての役割を果たした。本田成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となった。丸岡城の天守閣は現存する天守閣の中で最も古い建築で、外観は上層望楼を形成して通し柱がなく,一層は二階三階を支える支台をなし、屋根は二重で内部は三層となっている。又、屋根が全部石瓦で葺かれているのが全国にも稀な特徴である。昭和23年(1948年)、福井大地震で倒壊したが、昭和30年(1955年)、古材を用いて再建された。丸岡城・天守閣は重要文化財である。
[所在地:福井県坂井市丸岡町霞町1-59]
<アクセス>JR北陸本線・丸岡駅下車 徒歩約60分
JR北陸本線・芦原温泉駅下車タクシー約15分
▼丸岡城の概要
▼丸岡城の概略図
▼丸岡城・天守閣
▼丸岡城・天守閣
▼石落し(出格子窓)
▼狭間(さま)
▼天守閣内部 (1階)
▼天守閣内部(2階) ▼天守閣内部(3階)
▼入側と窓の説明
▼二階のつくりの説明
▼三階のつくりの説明
▼石瓦と鬼瓦の説明
▼丸岡城・天守閣(重要文化財)
出格子窓は、大型の石落としての機能も併せてもっていて、左右に横矢を掛けていた。
2016/11/15 訪城