こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

第23回反核平和の火リレー

2010-07-13 16:41:15 | 活動日誌
1988年に第1回目の反核平和の火リレーが長野県で取り組まれてから、もう23回になるのかと感慨深いものがある。1回目のときは、どうやってやるのか、本当に走り継ぐことができるのか、ランナーは集められるのか、試行錯誤だった。当時、私は松本市職労の青年部長で、私自身も卓球部だったので、運動部の皆さんに頼んで松本・東筑160キロを走り継いだ。火は広島市の平和公園に「全世界から核兵器が無くなる時消される」という平和の灯を採火し、白灰カイロに火を移し、長野まで運びランプに火を灯して、約1ヶ月に及ぶリレーを行った。

当時は、県も入れて122の自治体があり、平和都市宣言を行うことや8月6日、9日の平和記念式典への派遣などを要請してきた。当時60余りだった平和都市宣言は、長野オリンピック開催に向けた動きもあり、結果的には104まで確か増えたような気がする。その後、平成の合併で今は自治体の数は県を入れて78まで減った。

後を継いでいる今の青年たちが「語り継ごうヒロシマ・ナガサキ・オキナワの心を」をスローガンとし、「ヒロシマの心とは人間の尊厳を奪うことに対して誰であろうとどんな理由があろうとも、それを許さない行動を起こすことだ」と自治体訪問の折に紹介をしているのを聞いて、若い頃の純粋さや正義感がよみがえってきた。これから8月6日までの長丁場、ぜひ事故などに気をつけて走りぬいてほしい。

ちなみに、今年は平和行政に力を入れている山ノ内町にある平和の丘公園をスタートした。山ノ内町長にお話を聞く機会が得られたが、山ノ内町では7月16日広島から被爆者を招いて講演会を企画している。その話を聞いたある町民の方が、「自分は原爆の閃光とキノコ雲を見た経験がある」と聞き、あわせてお話をしていただくことにしたそうだ。加えて、中学生の皆さんに広島と長崎で開催される平和記念式典に参加してもらい、公民館事業や戦没者慰霊祭などで感想を発表してもらっているとのこと。

被爆体験や戦争体験が風化しつつある。あと残された時間はそう長くは無い。できるだけ多くの方に口を開いてもらい、次代を担う若い皆さんに引き継いでいかなければならないと決意を新たにした。

    第1ランナーの青年、平和観音の前で


    山ノ内町役場で、副町長から平和の火が引き継がれる


   山ノ内町役場から走り始めたランナーの皆さん
コメント
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