こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

20180711 波田憲法学習会~又坂常人先生講義

2018-07-20 21:19:15 | 憲法ノート

20180711 波田憲法学習会~又坂常人先生講義

21回目となる波田地区憲法学習会。今回からは、判例に基づく憲法実践講座。

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第20回波田憲法学習会

2018-04-25 22:13:21 | 憲法ノート

波田地区で毎月一回行ってきた憲法学習会が一区切りとなりました。今日で20回目ですから1年半かけて、現行日本国憲法と2012年版自民党憲法改正草案を読み比べ、何をどう変えようとしているのか、参加者が自由に意見交換してきました。ほとんどの方が、現行憲法をすべて一言一句読んだことは生涯ではじめてです。自民党憲法改正草案も読んで、そもそも自民党がどんな社会を目指しているのかということも反面教師的に分かりました。自民党は、天皇を元首に据え、自衛隊を国防軍に変え、基本的人権を公益及び公の秩序のもとに制限する国家を目指す政党だということです。現行憲法の主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重と真逆です。特に、今日は第10章最高法規について議論をしましたが、自民党の考え方が集約的に現れている章です。

現行憲法97条は、基本的人権の尊重をあらためて最高法規の最初の条文として書いてあり、98条で憲法に反する法律はつくることができず、99条で権力を持つ者が守るべき規範であることを述べています。

ところが自民党憲法改正草案は、最高法規規定から基本的人権の尊重を削除して、天皇も憲法擁護義務者から外してしまいました。言ってみれば明治憲法に戻したいということですね。立憲主義の放棄です。

これからお試し改憲案が出てくるようですが、自民党は本質的には2012改正草案をベースにしている以上、絶対に阻止しなければなりません。

波田憲法学習会は、引き続き学習を行っていくこととなりました。

 

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憲法ゼミニュースNO9

2017-07-16 21:10:03 | 憲法ノート

6月12日、松本市勤労会館2F第4会議室で第9回憲法ゼミが行われ、18人が出席しました。

 

■第10章 改正、第11章最高法規 第100条~102条 

・レポーター、参加者の問題提起

第10章 改憲草案では、憲法改正の発議要件を衆参各議員数の「三分の二以上」から「過半数」の賛成に緩和している。国民の承認については「その過半数の賛成」から「有効投票の過半数の賛成」にすることで国民承認の要件を緩和している。憲法改正の公布について改正権限者が国民であることがないがしろにされている。

第11章 第97条が自民党草案では削除している。第98条(自民党草案101条)は立憲主義と矛盾する。憲法尊重義務から天皇を外している。

 

(質問)「その過半数」と「有効投票の過半数」は意味が違うのか?

(成澤)学説では白紙も含めて総投票数だが、国民投票法を見ると、有効投票の過半数となっている。

(質問)実際に憲法改正の投票をするときには項目別にやるのか、全体を投票の対象にするのか?

(成澤)国民投票法上は、全部ではなく関連するものをまとめてということになっている。

・成沢孝人先生のコメント

 憲法学について大学でちゃんと勉強していない。憲法学は政治的役割も引き受けながらやってきた。憲法に関わる学会では、日本公法学会があるが政治的ではない。全国憲法研究会は、最初から護憲を打ち出している。憲法学者は憲法擁護です。学閥はない。憲法学は法律学の中でも異端なので、法学部の中でどれだけ憲法学が力をもっているかというと難しい。共謀罪では刑法学者がそれなりに反対している。盗聴法の時には刑法学は権力側と批判する側の二つに分かれた。刑法は派閥がある。

 憲法学の中では、自衛隊合憲論があるように、政治的にコミットしたくないという若い人が増えている。国立大学への国旗国歌反対の声明を出したが協力してくれない大学があるが全体としては護憲。

 世の中はリベラルになってきたが、自民党改憲草案のような時代遅れのものが出てくるのは政治改革の結果。舛添がつくったものより、さらに右の人たちのためにつくったリップサービス。だから、安倍は今回は9条3項できた。

 96条は安倍が最初にぶちあげて失敗した。96条を変えさせなかった日本社会の抵抗力がある。なぜ三分の二と書かれているのかというと、政権与党だけで発議してはいけないという意味。なぜかというと、憲法は国民全体のもの。野党も含めて国民全体が納得できるものでなければならない。三分の二のハードルは大事。戦後政治の歯止めとなってきた。日本国憲法を支持する人たちがこれまで一回も政権をとれずにここまできたのは三分の二の要求があったから。三分の二のもとで憲法改正に抵抗していくことでしか日本の立憲主義はありえなかった。

 今度の憲法改正は共謀罪ができた後です。おそらく共謀罪は憲法改正のためにつくった。2018年国民投票のために共謀罪をつくっておくと委縮する。これが一番の目的。どっかで一回適用されたらみんな黙ってしまう。だからといって改憲スケジュールは止まらない。どんなに歴史的汚点を残そうとも改憲発議をやって、勝てると思っている。

 97条があって、98条がある。憲法の目的は自由のため。自由な国民が自由を獲得するのがまともな社会のありよう。いまだかつて実現できていない。共謀罪反対に共感が広がらないのも、自由にただ乗りしているだけ。共謀罪は自分に関係ないと思っている。憲法は我々にとっても必要だが、彼らにとっても必要。民主主義はいい社会をつくるために必要。社会は権力に抵抗する人がいて、そのうえで決定する。政治改革の結果、誰もチェックできなくなった。だから政治改革が間違っていた。憲法改悪まできた。

 9条3項も、今までと変わりませんよと、ウソをついて改正する。9条3項改正されたら国民全体が関係ないというわけにはいかない。この憲法の中身がいいということを説明していくしかない。

97条削除は彼らのイデオロギー。表現の自由は制約していいと言っている。右翼の人たちの憲法理念は権力者に有利だ。向こうは9条3項を変えると決めてきた。そこに絞ってこれからやっていく。

共謀罪や安保法制で実質は憲法をドンドン変えてしまっている。表現の自由についても最高裁判決はいい判決が出ていない。だから政治的に発言することから国民が逃げている。実際、運動する人たちが弾圧されているから、それを見てやらなくなる。

こっから先、共謀罪で誰かが逮捕されたら皆で支援する体制を整えないといけない。彼らは人権を考えていない。日本国民全体は人権が大事だと思っているので、この改憲草案が改正にかかることはないと思うが、どんどん狭まっている。恐ろしいのは教育。最近、学生が何も考えなくなっていると感じる。前は、先生の言っていることは分かるけど自分はできないという感じだった。最近は、こういう話は聞きたくないという感じ。政治的な話を聞くのもいやという感じ。日の丸君が代行政が始まって18年たつ。

 102条も彼らとすれば一貫している。改憲草案では表現の自由も公益及び公の秩序のもとで制約していいことになっている。法律が違憲になることはもうないということ。自由が制約されても違憲にならない。表現の自由を制約する法律ができても違憲になることはない。表現の自由は民主主義にとって本当に大事。少数者の意見を言える機会があるということは非常に大事。それは国民全体にとって利益があること。おかしいことをおかしいと言える人が、どれだけ大事かということを多くの人が考えなければならない。国民が憲法を尊重しろと書いてあるが国家の言うことを聞けということ。天皇が抜けていることも、天皇は元首だから憲法にしたがう必要はないと考えたのだろうが、元首だって憲法に従う義務はある。日本社会の忖度の中心にあるのが天皇だから甘くしたのか。立憲君主制でも王様が憲法を守ることは基本。それすらわかっていない。

(文責:中川博司)

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憲法ゼミニュースNO8

2017-07-16 21:04:38 | 憲法ノート

5月8日、松本市勤労会館2F第4会議室で第8回憲法ゼミが行われ、18人が出席しました。

 

■第8章 地方自治 第92条~97条 

・レポーター、参加者の問題提起

改憲92条地方自治の本旨とはここに書かれていることか?

改憲93条3項国と地方が協力する義務、地方自治体の相互協力義務規定は必要か?

改憲94条で首長や議員の選挙権を「日本国籍を有するもの」と規定していることはおかしいのでは。

改憲96条地方自治体の財源について、安倍政権は国の政策を実施する自治体には優遇措置を行い、そわない自治体にはペナルティーがある。

 

成沢孝人先生のコメント

 戦後革新自治体が憲法を定着させる大きな役割を担った。それを大きく反転させる目的がある。住民に義務を負わせている。地方自治の条項は少ないが解釈で広げてきた。地方自治の本旨とは何かということで団体自治と住民自治と言われてきた。地方自治体の自立が団体自治で国の下部機関ではない。民主的に運営しなければならないとしたのが住民自治。地方自治法の規定がレファレンダム(国民投票・住民投票)やリコールなど直接民主主義的な規定があり、それを活かしてきた。最近はずいぶん違ってきましたが、昔は地方自治体は民主主義の学校だと言われていた。それを自民党改憲草案ではガチガチにしばることになる。沖縄基地問題は国の問題だから地方は口を出すなと言ってきそう。でも住民の権利の問題だから沖縄はがんばっている。それにしても国の論理で辺野古にしても厳しい状況にある、それを明文化することになる。92条も怪しいし、93条の3項も怪しい。

94条については、在日韓国朝鮮人の皆さんが公務員になれる権利と選挙権について、議論の蓄積がある。公務員にはなっているが管理職にはなれず判例も追認している。選挙権は90年代リベラルな考え方が支配した時代があって、国政は外国人参政権はないが、地方は認めてもいいという見解が憲法学でも広がった。ドイツでトルコからの移民に選挙権を認めた。憲法学で住民と国民は違うという論理で、現行憲法は住民と書いてあるから地方においては外国人に選挙権を与えていいということが通説となっている。最高裁判決で、永住者等地方自治体と密接に関連するような人たちについては法律で選挙権を与えても憲法違反ではないとした。それが自民党の人たちは気にくわないのだろう。ここではっきり明文化するということ。

96条も怪しい。「地方自治体の経費は条例の定めるところにより課する地方税・・・」で、法律ではなく条例と言っている、基本的には自前でやれと言っている。足りなかったら国が「必要な財政上措置を講じる」。

97条については現行においても適応事例は少ない。97条で明文化しているような場合でないと地方自治特別立法とみなされないで住民投票していない。現行でもせばまった運用がされている。

(質問)条例は幅広い裁量があるのか?

(成沢)基本的には条例は自由につくっていいはず。法律と条令がぶつかるときには、形式的に考えるのではなく、法律と条例の目的が異なる場合、法律の執行に害悪を与えない場合条例をつくっていい。対象が異なり目的が一緒の場合です。目的が重なっている場合、法律の文言から考えて法律が条例の規制を認めない趣旨かどうか法律を見て判断をするという判例が出ている。横出し、上乗せが当初はダメだと言われていたが判例上認められた。形式的にダメというのではなく、そこは裁判所が判断して、法律がさらに、規制を許容するかどうかを、地方自治体がより制限をしたり、より権利を保障していくような規制について法律がそれを許しているか、いないかを裁判所が判断するという判例。基本的に地方自治体の権限に属するということでいえば、何でも自由に決められる。地方自治体の機関委任事務がなくなり、法定受託事務になった。本来、国が行うべき事務を地方自治体に任せたというかたちをとっているので、国が関与することが出来る。争いがあった時は国地方係争委員会が判断して、場合によっては訴訟になる仕組みができている。機関委任事務はなくなったが地方自治体が自由になったかといえば、そうではない。国の関与について異論がある場合には最終的には訴訟となる。国の関与が関係なければ人権との関係はあるが自由に条例はつくれる。喫煙も幸福追求権の一環であると判例上いわれているが、禁煙条例をつくることは問題ない。人権の問題があるので適用範囲は限られると思うが。家の中で吸うこともだめだという条例なら違憲になる。

(質問)空き家対策条例は私権を制限する。

(成澤)条例を活用して地方自治を活性化させることは本来やっていいこと。雇用促進条例だってできます。

(質問)96条で地方税の税率が地方自治体によって異なることはおかしいので条例制定にはなじまないという見解であったはずだ。

(成沢)今は国が法律をつくっている。それをなくして、いったいどうするんですかね。体力のないところは潰れて広域化していく。税率が違ってくるのも競争の一環だということになるのでは。税率は安くてもほかの負担が増えたらそれはそれで大変だ。自主財源でやれってことです。国は代わりに税金を取らないということ。

 

■第9章 緊急事態 第98条~99条

・レポーター、参加者の問題提起

改憲98条 緊急事態宣言は内閣が自分で宣言できてしまう。国会の承認は与党が多数を占めているのだから当然スルーされる。

改憲99条1項 国会は関係ない。今は安保法制など国会で議論されたが緊急事態宣言後は内閣が自分で勝手にやれる。

3項 人権が侵害されること、財産を取り上げて保障しないことができる。

4項 与党が議会の多数を占める体制が維持され、民意が十分に反映されないまま内閣による体制整備がされていく。

・緊急事態条項そのものが憲法の趣旨に反する。

 

成沢孝人先生のコメント

緊急事態の要件が甘い。ふつうは国会の多数決が必要。こんな甘い認定でこれだけの権限を内閣総理大臣に与えるということはありえない。9条があるおかげで、有事法制安保法制はあるが、最終的に国民に言うことを聞かせることはできない。働いている人は業務命令でやらなければならないが、どうしてもいやだったら仕事を止めるという選択肢をもっている。しかし普通の人に命令や義務を課すことはできない。協力する義務があると書いてあるが、協力をしなかったからといって逮捕はできない。だから、そのために緊急事態条項をつくるのではないか。内乱はともかく大規模災害はためにするものだ。東日本大震災ではいろんな情報が出た。緊急事態宣言が出されれば情報統制も行われたかもしれない。あのとき緊急事態条項があれば、もっと人の命を救えたでしょうか?そんなことはない。認定の要件が甘すぎる上に緊急勅令のように国会すっ飛ばして法律をつくれるようにする。98条の4項、衆議院の優越がある。100日、100日で、再更新でずっといける。非常に恐ろしい条文だ。日本国民がこの条文にイエスというときは万歳するしかない。さすがに、これはひどすぎると思うのではないか。

 

・安倍首相の憲法9条1項2項を残し3項に自衛隊を位置づける発言について

(成沢)今回の提案は自分の任期中にできることとして本気の提案だ。実現可能性が高い。自民党改憲草案は実現不可能なことがいっぱいあるが、9条3項はありうる。これにどう抵抗していくか早急に考えなければならない。安保法制の違憲隠しだ。自衛隊が合憲だったらつくる必要はない。憲法学者を黙らせるための改憲?おかしな話だ。自衛隊員の命を守ろうとしているのは誰なのか、南スーダンの駆けつけ警護について憲法学者100人集めて「すぐ帰ってこい」と声明出した。自衛隊員の命を守れと我々憲法学者がしている。違憲な状況があるから自衛隊員の命が守られている。

 安保法制ができたので、目的は達成されている。安保法制が違憲だと言われるとご破算になる。自衛隊の存在を明記するということになれば、安保法制は合憲になる。自衛隊が違憲であるかもしれないということを前提としているからこそ、個別的自衛権であっても限定的な例外中の例外として認めるということが以前の憲法解釈だった。それが崩れる。必要最小限度の実力組織としての自衛隊が明記されるわけだから、攻撃された時だけの例外としての自衛権は通用しなくなる。安保法が違憲であるということの論理を崩すための提案だ。

(文責:中川博司)

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憲法ゼミニュースNO7

2017-06-07 20:09:53 | 憲法ノート

4月10日、松本市勤労会館2F第4会議室で第7回憲法ゼミが行われ、13人が出席しました。

 ■第6章 司法 第76条~82条 

・レポーター、参加者の問題提起

第77条 最高裁判所は、裁判に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。

2 検察官、弁護士その他の裁判に関わる者は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。

3 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

Q.「訴訟」を「裁判」に変えた理由は?「弁護士その他の裁判に関わる者」を加えた理由は?

 第79条 最高裁判所は、その長である裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官で構成し、最高裁判所の長である裁判官以外の裁判官は、内閣が任命する。

2 最高裁判所の裁判官は、その任命後、法律の定めるところにより、国民の審査を受けなければならない

3 前項の審査において罷免すべきとされた裁判官は、罷免される。

(旧4項削除 審査に関する事項は、法律でこれを定める。)

4 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。

5 最高裁判所の裁判官は、全て定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、分限又は懲戒による場合及び一般の公務員の例による場合を除き、減額できない。

Q.(現行)77②最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする・・・と比較して憲法に明確な規定を書かなくていいのか疑問。

 第80条 「任期を10年とし」→「法律の定める任期」に変更。

Q.任期を憲法で定めなくしていることに疑問。退職間際の裁判官はいい判決を出すと聞いたが、そのことと関係しているのか?

成沢孝人先生のコメント

 司法権の独立は、まず78条がある。78条は罷免について「心身の故障のために職務を執ることが出来ないと決定された場合」だけです。裁判官の身分保障はかなり強力です。だから、その趣旨を徹底してお金で圧力がかからないように減額してはいけないとなっている。これが減額できることになるので改悪。「分限又は懲戒による場合及び一般の公務員の例による場合」減額できることになる。

 これは裁判官の任期と関連していて、10年任期というのは日本のキャリア裁判官の場合は不適切であると言われている。なぜ10年任期かというとアメリカにおいて裁判官が政治的に企業を規制する法律をつくるために労働条件に介入する法律を違憲にしていく。そういうことがないように裁判官の権限を弱めるため10年任期とした。アメリカの裁判官は法曹一元制なので弁護士の中から裁判官になる。日本の場合は司法試験が終わった段階で三つに分かれますので、10年間というのは裁判官独立にマイナスに働く。宮本裁判官再任拒否事件があった。たった一人だが、理由がなく(おそらく青年法律家協会に入っていたことが理由だが)、60年代から70年代の司法反動の時に、公務員の労働基本権が問題になったころ、人事での介入が行われた。10年任期を利用して誰でもよかったと思うが、若い宮本裁判官が青法協をやめなかったことを理由に再任が拒否された。青法協をやめなかった人はほかにもいたが。ただし裁判所は理由を示さなかった。罷免ではなく採用なんだから、どんな人を雇ってもいいはずだというのが裁判所の見解。最近、78条で再任されない人が増えているらしい。政治的な理由で再任されなかった人は宮本裁判官だけです。若くして裁判官になって10年で辞めさせられればいい判決は書けない。いい判決は定年間近の裁判官が出す。それを「法律で定める」とかえるのだから短くできる。それだけでも圧力になる。

 憲法学では、基本的には再任が原則であって、再任されないときには理由を示さなければならないというのが通説。つまり日本の裁判官はアメリカの裁判官と違って、職業裁判官で公務員と同じでキャリア裁判官なので、身分保障がなければいい判決が出せないから、80条があるにもかかわらず、基本再任が通説。盗聴法の時にがんばった裁判官がいて、話題になったので再任された。裁判官の身分を弱くするということで現行憲法に弱点があるとすれば80条と言われている。それをさらに弱くするということでしょう。

 77条2項に弁護士も最高裁規則に従わなければならないとしていることは問題だ。現状でも裁判所が訴訟を仕切っていてしたがっているが、正式に書かれれば規則違反ということが出てくる。これまでは裁判は当事者主義といわれてて、あくまで原告被告が主人公であったが、それをやり方によっては規則で縛ることになる。

■第7章 財政 第83条~91条

・レポーター、参加者の問題提起

第83条2項を新設し「財政の健全性」の確保が書き込まれた。

第86条2項「補正予算」、3項「暫定予算」、4項「債務負担行為」を新設。

第89条「第20条3項のただし書きに」規定する場合は支出が可能に。

第91条財政状況の報告を国民をはずし、国会だけにした。

 ・成沢孝人先生のコメント

 「財政の健全性」は、自民党がアベノミクスに行く前の産物。これはアメリカの共和党が主張した。アベノミクスはどんどん借金を増やす政策で健全性はない。ようするに赤字国債だめだとして全く借金もできなくなれば福祉もできなくなる。アメリカもイギリスもこれで手足が縛られてしまう。一般論としてはいいが、憲法に書いてしまうとアベノミクスも違憲になる。リーマンショック以前のグローバル経済を反映して「財政の健全化」ということが憲法に書かれた。今なら書かない。

 86条で「補正予算」「暫定予算」「債務負担行為」を書いているのは、実際にやっていることを憲法に書いているが、内閣がお金をどんどん使うということを憲法で承認してしまうとマイナス効果が出る危険性がないわけではない。

 89条についてですが、現行においては政教分離違反、20条1項3項89条違反といわれる。靖国神社は儀礼的だからと言って変える。2項は私学助成が違憲ではないかという考えがあるが、「公の支配に属さないとは何か」という議論があるがゆるやかな解釈をしてきた。それを条文化している。「監督が及べば出していい」と変えている。現行もそのように考えられている。憲法改正のための議論としては「私学助成は違憲だ」という人がいる。憲法改正の口実とされてきたところがある。

 90条3項は、83条の2項とセットで新自由主義的な方向で使われるのかもしれない。

 (文責:中川博司)

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憲法ゼミニュースNO6

2017-05-08 22:19:48 | 憲法ノート

3月13日、松本市勤労会館2F第4会議室で第6回憲法ゼミが行われ、17人が出席しました。

 

■第4章 国会 第52条~64条 

・レポーター、参加者の問題提起

第52条 通常国会は、毎年一回召集される

Q.なぜ「招集する」から「される」に変えたのか?

A.天皇が招集して、国会は召集されることを明確にするため。新憲法は天皇の権限を上げる形にしたい。

 

第52条2 通常国会の会期は、法律で定める。

Q.国会法で決められていることを、わざわざ憲法に規定する必要があるのか?

 

第53条 内閣は 国会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない。Q.なぜ20日以内と期限を決めた理由は。

A.現行憲法だと臨時会について四分の一以上の要求があっても、「決めようと思っていたら次の国会が来た」と開き直れる。国会の権能を強めるので、「いい改憲」といえるのではないか。

 

第54条 衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。(新設)

Q.総理大臣の権限が強化されるのではいか。

 

第55条 両議院は、各々その議員の資格に関し争いがあるときは、これについて審査し、議決する。ただし、議員の議席を失わせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

Q.裁判ではなく審査で行うことの意味は。

A.裁判だと、裁判の形態をとらなければならない。原告被告がいて、権利が侵されたと主張する人がいて、聞く人がいて、懲戒する人がいるという手続きが大事。それを審査にするということだから手続き的にはダウンしている。

 

第56条 2 両議院の議決は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければすることができない。

Q.現行は「議事を開き議決することはできない」だが。

A.議事は三分の一いなくても開けるということは問題。

 

第63条 2 内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。

Q.答弁に不都合があれば、職務を理由に出席しないことも考えられる。

 

第64条の2 国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない。

②政党の政治活動の自由は、保障する。

③前二項に定めるもののほか、政党に関する事項は、法律で定める。

Q.なぜ新設されたのか?

 

・成澤孝人先生のコメント

 国会の権限の縮小ということは、草案を作った人たちが立憲主義を軽んじているということが良く出ている。この人たちだけではなく、実は政治改革の考え方が国会の権限縮小ということを前提としている。選挙で政党を選んで、その内閣が政治をやる政党本位だというあの政治改革の論理が憲法に書こうとしている。日本の憲法は国会の権限をきちんと書いている。立憲主義の歴史を押さえている。政治改革を一生懸命やった人たちは、国会の権限については蔑ろでした。イギリスをまねた。イギリスは「二大政党制で、マニュフェストで、小選挙区制で、国民はどちらの政党を選ぶのか」というのが、いいように見えた。

イギリスは、今は変わっている。イギリスでは解散もできなくなった。日本がイギリスの二大政党制をまねて政治改革をした結果、一強になった。イギリスでは逆に国会の権限が拡大しつつある。それがEU離脱の方にむかったということもあるが。間違った立憲主義を憲法に書こうとしている。イギリスの場合には憲法がないので法律で変えられる。今、イギリスの首相には解散権がなく国会にあるが、これは法律でつくった。解散制限法と呼ばれている。しかし憲法で総理大臣が決定すると決めてしまうと、解散制限法みたいな法律は違憲になる。現行憲法は解散については、実務は内閣が閣議決定をしている。小泉の郵政解散の時に島村農林水産大臣が解散に反対して、小泉が島村を罷免した。「ちょっと郵政解散おかしい」と言えた。自民党改憲草案だと言えなくなる。解散は首相の専権だというが、イギリスにおいてもどこにも書いてないが、王様の権限である。王様の権限を内閣の助言と承認で使うはずだが、ロイドジョージは、内閣に言わないで自分で王様のところに行って解散したことがある。その国王大権としての解散権を法律で剝奪した。日本の憲法は天皇が何も権限を持っていないはずなので、7条の国事行為は形式的権限。イギリスの王様が持っていた解散権を天皇派は持っていない。解釈上は内閣にも解散権はないという考え方が憲法学の中にはある。正確に言うと69条の場合には出てくる。不信任案が可決されたとき以外に内閣の解散権はないという考え方がある。

多数派は、7条説は天皇の解散権を前提としないと出てこないのでおかしい。議院内閣制には内閣の解散権が含まれているという考え方が通説となっている。

 イギリスでは保守党と自由民主党の連立政権があった。その時に少数政党に解散権があったのでは困るということで法改正が行われた。ところが日本では「解散したら議院じゃなくなるぞ」と自分の政党の議員も黙らせてしまう。与党の党首の権限が極めて強くなる、それを憲法に書こうとしている。バランスをおかしくする。与党には国会議員としての立場と政党としての立場がある。55年体制では国会議員としての矜持があったが、政治改革で政党のリーダー本位に変わった。

 ある識者がいっていることに、この政党本位のやり方だと参議院が邪魔になる。イギリスの貴族院は権限がない。日本の参議院は法律を阻止できるので強い権限がある。イギリス的な二大政党制、マニュフェスト、政権選択、首相のリーダーシップということになると参議院が邪魔になるから、参議院の権限を下げようと言っている。でも、それは自民党の改憲案にはない。自民党の改憲案は改憲したいというだけの改憲案ではあるが、リベラルな人も含めて参議院の権利を減らそうという人はいる。

63条2項は非常に問題。国会の権限は、国民に対して政府をコントロールするという大きな意味があったはず。55年体制においてはその建前が与党側でも尊重されていた。しかし政治改革の流れの中で、無視されそれを憲法に書くということになっている。イギリスは、こんなにずさんではない。コントロールもしようとしている。

 64条の2項、政党については憲法学で議論がされてきた。日本の憲法に政党が書かれていないことはいいことだ。政党を書くということは、これが政党だということを法律で書くことになる。ドイツは政党条項っていうのがあって、ドイツ共産党とネオナチは違憲無効で解散させられた。ドイツは民主主義が機能している。日本でそれやると、まじめな政党が結社禁止になってしまうかもしれない。政党ということを憲法に書かないということが大事であると、憲法学者の多くは考えてきた。政党は普通の結社でいい。イギリスも、アメリカも同様。法律に合わない政党は無くしてしまうということになる。

 

■第5章 内閣 第65条~75条

・レポーター、参加者の問題提起

第65条 行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き内閣に属する。

Q.「この憲法に特別の定めのある場合」とは何か?

 

第66条 2 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。

Q.「文民でなければならない」から「現役の軍人であってはならない」に変更されているのはなぜか?

 

第67条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会が指名する。

Q.「国会の議決で」が削除された理由は?

 

第72条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う

2 内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。

内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。

Q.内閣の承認がなくても総理大臣が重大な決定をすることができるのではないか。

 

第73条 5 予算案及び法律案を作成して国会に提出すること。

6  法律の規定に基づき、政令を制定すること。ただし、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、義務を課し、又は権利を制限する規定を設けることができない。

Q.国会の立法権を否定することになるのでは。

A.法律が政令に委任する委任立法というものがある。国会の機能を下げることになるが、福祉国家のためにはしょうがないという考え方がある。現行憲法は「罰則を設けることができない」となっている。今の憲法だと罰則でなければ包括的に委任していいという余地がある。国会のコントロールが増える「いい改憲」。いい改革は憲法を変えなくても法律でできる。罰則は典型的な権利の制限である。

 

・成澤孝人先生のコメント

 内閣には法律提出権がないという議論がある。イギリスには内閣に法律提出権はない。イギリスにおいては庶民の代表が王様に呼ばれて国会を構成している。王様の代わりに行政を行っている。日本の場合は内閣が法律案を提出しても違憲ではないということが通説になっている。それを書いて解釈の争いを止めさせたいのではないか。議員立法を無くすことはできない。内閣を中心に行っていきたいということ。内閣の機能強化、内閣総理大臣の機能強化になる。問題は72条。総理大臣を内閣の上に意識した規定。

 総理大臣中心の議員内閣制は、国会の機能が下がっていく。現代国家の特徴で行政権が強くなっていく。日本の憲法は、権力分立を前提として国会を中心として内閣をコントロールする、国会の方が内閣より優位しているのが議員内閣制のシステム。議員内閣制は政党を媒介して国会議員の過半数をバックにして行政が強くなる。大統領制よりも内閣の機能を強化できる。そうするとコントロールできる主体が司法権しかいなくなってしまう。90年代政治改革は、国会をすっとばして内閣を国民が選ぶという議論が横行してしまった。自民党案は、それを憲法に書くということ。

 狭義の意味での首相公選制は議院内閣制よりも首相の権限を弱くするということがある。国会が内閣を支えるので議院内閣制は首相の権限が強い。首相公選制は、首相を選んで、国会議員も選んでガチンコ勝負をさせる、国会議員が首相を支えるというインセンティブを持たなくなる。にもかかわらず首相が解散権をもつことになるので、統治の仕組みとしては不安定になる。

 政治改革と日本国憲法は対立している。

 (文責:中川博司)

 

 

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憲法ゼミニュースNO5

2017-03-19 20:44:59 | 憲法ノート

2月13日、松本市勤労会館2F第4会議室で第5回憲法ゼミが行われ、16人が出席しました。

 

■第3章 国民の権利と義務 第31条~40条 

・レポーター、参加者の問題提起

改憲草案第31条「何人も、法律の定める適正な手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」・・「適正」が加筆されることの意味は?

改憲草案第34条「正当な理由がなく、若しくは理由を直ちに告げられることなく、又は直ちに弁護人に依頼する権利を与えられることなく、抑留され又は拘禁されない」・・抑留・拘禁の条件が緩和されている。」

改憲草案第36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」・・「絶対」をはずすことで必要であればいいということになる。

 

・成澤孝人先生のコメント

 31条と18条は、人身の自由の総則的規定と言われている。31条は適正と書いてない。なぜかというと、この憲法のもとはアメリカ人の法律家が書いている。デュウプロセス(due process)条項と言われている。デュウプロセスとは「適正手続き」ということ。アメリカ憲法の人権条項に修正5条と修正14条に出てくる。20世紀初頭、アメリカの最高裁判所はデュウプロセス条項を使って財産権の保護をしていく。デュウプロセスによらなければ生命、自由、財産を奪われないという条項を使って、労働者の保護をする法律を違憲にしていく。30年後のニューディールで覆されるが、そういう歴史がある。憲法を起草したアメリカ人は、その歴史をわかっていた。だから、わざわざここにデュウプロセスと入れなかった。裁判官がデュウプロセスを使って財産権保護をし、労働者を保護する法律を違憲にするという懸念をもっていた。

その結果、大事なことがすっとんだ、日本の特殊な問題としての適正手続きというものは戦前の歴史からあったはずだから。これは大問題ですが、日本の憲法学の成果として、ここにはデュウという言葉が入っていると主張して裁判所も認めている。実際には「適正」と入っていると考えていい。「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と書いているが、このまま読めば「法律で定めれば生命、自由を奪ってもいい」と読めてしまう。しかし戦後の公法学ではここには適正という言葉が入っていると主張して、今はもうここに適正という言葉が入っていると考えられている。

とすると自民党の改正草案は、そこから考えると一歩も二歩も後退している。「法律の定める適正な手続き」になっている。憲法上の適正な手続きとは何かという問題はあり議論されている。法治国家というと法律によって運営される国家ということになるので、悪法も法なりという危険性がある。法の支配とは、法律の上にある法(rule of law)、国会がつくる上位に法があるという概念。憲法と言ってもいい。適正手続きの一番典型的なことは、告知聴聞といいますが、権力者が市民に不利益となる権力行使をするときには、「必ず告知をして弁解の機会を与える」ということが核心であり、行き着く先に公開裁判がある。裁判は最高の手続きであるが、そこへ行くまでの手続きが大事であって、警察が出てくるとき、検察が出てくるとき、必ず「こういう理由で」と出てくる。

そうすると34条は非常に問題だ。(改憲草案)「正当な理由がなく、若しくは理由を直ちに告げられることなく、又は直ちに弁護人に依頼する権利を与えられることなく、抑留され又は拘禁されない」だから、どれか一つやればいいという話。

31条から41条まで人身の自由について書いている。自民党でさえ、ここは基本的には変えられないと考えているが、根本的な31条と34条を変えてきている。36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」の「絶対」を外している。死刑が残虐な刑であることから死刑廃止論があるため、「絶対」を外してきているかもしれない。「絶対」という言葉を外すのは、「拷問するんじゃない」と思われる。拷問を受けたとき、「絶対にこれを禁ずる」が「これを禁ずる」と変わって、「絶対ではない」と変わってしまう。

31条から40条までは重厚な規定であるにもかかわらず、日本の司法はずっと問題を抱えている。その中でも冤罪を生むのが代用監獄です。自白が強要される。可視化はされたけれど、司法取引が導入された。これは共謀罪に関係してくるが、誰かがうその自白をして人を陥れることが可能なってくる。

(沖縄新基地建設反対のリーダー不当逮捕された)山城さんは、何とかしないといけない。おかしな逮捕だということを言っていかなればならない。私は2004年立川テント村事件で関わりましたが、捕まっている人を助ける運動は非常に苦しい。国民の支持が必要。立川テント村事件では朝日新聞が書いてくれ話題になったが、それでも75日間拘束された。大阪駅事件、大阪駅前でがれき受け入れ反対のビラを配っていた。ビラを配り終わった後、市役所へ行くためコンコースを通行した。その時駅員が止めようとして押し問答になり、その時は通ってしまうが、後日令状逮捕となる。しかも実際はビラを配っていなかった阪内大の先生も礼状逮捕された。自宅も研究室も家宅捜査された。結果として無罪となった。大阪駅事件ではビデオが残っていて、これは冤罪だと分かった。逮捕されている人を助けることは相当苦しい。市民の声が必要。あわせて、がれき反対運動救援運動になってしまう。運動つぶしになる。共謀罪ができれば、必ずそうなる。

マイルドな変化に見えるけれど31条と34条と36条の変更は大きな変更である。

 

■第4章 国会 第41条~51条

・レポーター、参加者の問題提起

第44条に障害の有無を入れている。改憲草案第47条「選挙区、投票の方法その他両議院の選挙に関する事項は、法律で定める。この場合においては、各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定めなければならない。」は、こんなきれいごとでは決められない。

小選挙区制は違憲ではないのか。投票率が低すぎて当選しても無効ではないか。

・成澤孝人先生のコメント

一票の格差問題は第14条を根拠にしている。最高裁が珍しく違憲判断をした。政治に対してものを申してきた領域。小選挙区制ができたことによって一票の格差を人口差で分けることが本当に日本社会にとっていいことかという問題はある。つまり都市部の意見ばかりが通ることになる。中選挙区制では野党も議席をとれたので全体としてバランスがとれていた。都市部の意見が日本国全体の運命を決めてしまうという問題がいま出てきている。改正案は最高裁が言っていることをそのまま書いただけ。学説は1対1。憲法学もこの領域をちゃんと考えてこなかった。日本のように都市部と田舎の人口が偏在している状況で本当に1票の価値を実現したら、田舎の声は国会で無視される危険性がある。自民党は都市部で勝てるという自信がある。

43条の「全国民を代表する」という部分とぶつかる。1対2までは合憲。どう見るのか。小選挙区制は首相の強い権力と結びついている。しかし小選挙区制は違憲ではないと言われていきた。

「全国民を代表する」は、歴史的には選挙区で選ばれても選挙区の代表者ではなく全国民の代表であるという意味がある。間接民主制を規定する表現。したがって小選挙区制は直接民主主義的であるから43条とぶつかるという言い方は出来る。

 (文責:中川博司)

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憲法ゼミニュースNO4

2017-02-07 23:03:42 | 憲法ノート

1月16日、松本市勤労会館2F第4会議室で第4回憲法ゼミが行われ、17人が出席しました。

 

■第3章 国民の権利と義務 第18条~23条 

・レポーター、参加者の問題提起

「第18条いかなる奴隷的拘束も受けない→その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない、に変更された意味は?対象がせばまる危険性がある(例外が出てくる)」「第19条これを侵してはならない→保障する、に変更された意味は?絶対的保障からの変更」「19条の二プライバシー権は国家にとって不利な事柄に対して報道の自由や表現の自由が侵される恐れが強い」「第20条政治上の権力を行使してはならない、削除された理由は?公明党に配慮しているからか」「第20条3項の新設は、靖国神社の公式参拝を認めていくという危険性をもっている」「21条2の新設は、国の政策に反する活動や団体・政党の結社をできなくする危険性をもっている」「21条の二新設は、必要ない」「22条公共の福祉に反しない限り、が削除された意味は?」「23条これを、を削除して絶対的保障を変更した」

・成澤孝人先生のコメント

奥平康弘先生は「精神的自由がなぜ大事か考えなければならない」と言ってきた。精神的自由は民主制のために大事。最近は政治改革の結果選挙で選ぶことが民主制のようになっている。橋下徹が「勝てば何でもできる」と言ったが、民主制はそういうものではない。「権力に対して批判的に対峙することこそが民主主義だ」と奥平先生は言っている。だからこそ表現の自由は大事。表現の自由のない民主主義は考えられない。逆に言うと自民党はそれが怖い。だから21条の2項は恐るべき規定。まず13条で、人権は公益及び公の秩序を媒介してはいけないと書いている。自民党改憲草案では、すべての人権は「公益及び公の秩序」を害してはならなくなる。さらに表現の自由に関してはダメ押しで、具体的に害さなくてもそれを目的とすれば制約していいことになる。共産党の破防法問題や松本市の自由通路のパネルの問題、池田町の公民館使用の問題について、言っていかなければならない。人の表現の自由が害されていることを見過ごしたら自分にかかってくる。表現の自由は事実上の力関係。達成されていることは奪われないようにすることも必要。要するに表現の自由は権力に対しておかしいと言う自由。民主的決定が良くなるということ。批判をする人がいて、よりよい決定ができる。権力の暴走をストップさせるために批判することは、世の中のためになっているということを意識したい。前文にもありますが自民党の新たな国家像は経済です。22条で「公共の福祉」が外れた意味は、大企業や富裕層の自由な経済活動を保障するため。現行憲法はわざと22条に「公共の福祉」という言葉を入れている。経済活動の自由が人権であれば、労働基準法だって労働組合法だって契約の自由に反して値段を不当につりあげるということになる。22条と29条に「公共の福祉」という言葉があるのは、「経済活動の自由は制約しなければならない」「お金持ちの権利を制約して社会全体のために分配する」ことが憲法違反にならないためには「公共の福祉」という文言が必要である。自民党改憲草案は、表現の自由には「公益及び公の秩序」をいれて、22条はとっぱらうのだから反対です。強い人やお金持ちの権利に文句を言う人は公の秩序に反する、ということになる。19条は絶対的保障を変えることになるのはわざとです。個人情報の権利は表現の自由とぶつかる。今は、個人情報保護法は法律段階だから21条の縛りの下にある。しかし憲法に書かれると個人といえば政治家も入る。政教分離も緩和をして、儀礼的なものである限りにおいては、宗教的な活動をしてもいい、宗教教育もしてもいい。政教分離が何のためにあるのかといえば、政治家が宗教を利用して政治をしないため。宗教を利用して政治をすると、その宗教に帰依していない人を弾圧する、不利益を被ることになる。その宗教に帰依しない人は2級市民ということになる。靖国神社の参拝に反対する人は2級市民であると委縮させられる。表現の自由には知る権利が伴う、国民が権力を監視するため国政の情報を明かすことは当たり前のこと。

 

■第3章 国民の権利と義務 第24条~30条

・レポーターの問題提起

★24条「互いに助け合わなければならないと憲法にわざわざ書くことではない。書くことで高齢の親を特に女性が扶養する義務を制度化するなどの個別の法律をつくることが出来る」「両性の合意のみに基づいての、『のみ』がとれているのは、強さが違う」「両性の平等と相いれない家族や共同体の価値とは何か」「憲法に家族について明記されるということは、将来的に家族に関する法律もできるということではないか。家族基本法とか。戦前のお家制度とか家長制度の復活。」

★25条「生活保護を受けざるを得ない人を家族、親族が扶養しなければならなくなる」「25条の2で環境権が新しい権利として盛り込むと宣伝しているが、改憲草案は基本的人権ではなく国の努力義務に定めているに過ぎない」「国民と協力して、と国民にも義務を課している。幸福追求権を根拠に主張されている環境権が否定される恐れがある。」「新条項はなぜ付け加えられたのか。特に憲法に必要とは思えない」「緊急事態には戦争も含まれる」

★26条「第一次安倍内閣の折にすでに自民党改憲草案に合うように教育基本法が変えられている」「第3項の新設、国の未来という言葉、国の利益となるような教育がされることが懸念、有事になった時武器を持つこと、戦場に行くことなどを国の未来を切り拓くために必要と肯定的にとらえる教育が可能になる。逆に排除されるべきものと規定されたりする可能性も。」「男尊女卑の復活」

★28条「これを、がなくなっている」「28条2項の新設、なぜこれを新設するのか。公務員法に詳しく定められているにもかかわらず、あえて憲法に載せるのはなぜか」

★29条「保証する、と侵してはならない、の違いは?」「財産権は公益及び公の秩序に適合するように法律で定める、は公益及び公の秩序に適合しない財産は保護されないと読み取れる」「知的財産権の規定は、クリエイティブな活動よりも経済活動を優先させる意図があり個人よりも全体を優先させている」「私有財産は正当な保証の下に公共のために用いることが出来る(条文は変わっていないが)、公益及び公の秩序とセットで土地とか強制的に取り上げられるのではいか」「どんなことが『公益及び公の秩序』なのかは時の政権の意向次第」

・成澤孝人先生のコメント

日本会議は9条とともに24条にもこだわっている。憲法ができる以前は、親子関係と国との関係がパラレル(平行状態)になっている。親子関係を王様と臣民の関係にして支配をしてきた。改憲草案で、互いに助け合えと憲法に命令される。教育基本法と憲法は車の両輪と言われてきて、教育基本法が先に変えられた。旧教育基本法はいい法律だった。民主的で文化的な国家は教育に待つものだと書かれていた。目的は個人の人格の完成だった。それが愛国心を目的とし評価もするに変わった。戦争をしたい国家、国民がものをいえない国家に向かっている。

「互いに助け合わなければならない」は、福祉の金を減らすため。生活保護を求めてきた人たちを水際で追い返すことになる。

25条の2は環境権というふれこみであったのに環境権ではない。国民の義務が書かれている。25条の3、在外国民の保護は戦争をしかける理由になる。25条の4は、現行では被疑者被告人の人権が守られているが、犯罪被害者の権利を書くことによって相対的被疑者被告人の基本的人権が後退する。

26条3項は国は金も出すけど口も出すよと言っている。

28条は、公務員の権利の制限は今でも憲法違反の恐れがある。最高裁は1966年の全逓中郵事件と東京都事件でストライキをあおった人を無罪にしている。ところが1973年全農林警職法事件でガラッと変えちゃう。これは社会党つぶし、労働組合つぶしのスタートがここにある。最高裁も法律家だから普通に考えたら違憲だろうと考えた。無罪にしたがそれに対する自民党の反発は当時かなり強かった。司法反動と言われている。これが最高裁のトラウマ、たった4年で判決を変えてしまった。今でも違憲の可能性はあるので、ILOの勧告も出ている。憲法に書くことによって憲法違反と言わせない。

19条も、29条も「侵してはならない」とあるが、現行憲法でどこまで意識して書いているかはよくわからない。19条は「侵してはならない」が絶対的保障と言われているので、「保障する」に変えることによって、絶対的保障はなくなる。29条はお金持ちの財産権も丸ごと保障することになってしまう。だから29条2項で「公共の福祉」がある。しかし、それにもかかわらず侵してはならない財産権がある。普通の労働者汗水たらして働いて、生活するための財産権は侵してはならいと考えられていることが弱まる。

財産権については議論がある、福祉国家のためには財産権は制約しなければならない。でも知的財産については別だというわけだから、お金持ち・エリートのために憲法改正しようと考えている。

国民は文句を言わずについてこいと、戦争になってもしょうがないよねと、愛国心教育がされる。

 (文責:中川博司)

 

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憲法ゼミニュースNO3

2017-01-16 22:54:06 | 憲法ノート

12月12日、松本市勤労会館2F第4会議室で第3回憲法ゼミが行われ、19人が出席しました。

 

■第3章 国民の権利と義務(第10条~14条)

・レポーター荒井宏行さんの問題提起

「明治憲法の人権規定及び法律とその実態は?」「自民党草案では97条を放棄している意味は?」

・レポーター大内清彦さんの問題提起

「第11条現享有を妨げらない、草享有するに変わった意味は?」「現在および将来の国民に与へられる、が削除された意味は?」「基本的人権そのものの存在、範囲は?」「第12条、現保持しなければならないが、草保持されなければならないに変わった意味は?」「責任及び義務が伴うという縛りがかけられていることの意味は?」「公共の福祉から公益及び公の秩序に変わった意味は?」「第13条個人と人の違いは?幸福追求の意味、範囲は?」「第14条障害の有無は入れていいのではないか?」「差別はなくなっていない」

・参加者からの問題提起

「個人より国が上位を表している。個人から人に変わると国につながっていく」「アメリカの独立宣言にある抵抗権を認めてもいいのではいか」「全世界の国民に基本的人権が認められないと自由は保障されない」「明治憲法のもとではお国ため天皇のためと教育を受けてきた。現行憲法でそれがご破算になったのに、明治憲法に戻っているのではいか」「公益とは国益のことか」「総理大臣も自分も同じ基本的人権があるのか」「人は人とのかかわりの中で生きているから絶対的な自由はない。14条障害は個性だという考え方もあり疑問が残る」「保持しなければならないは、主体的な意味が強い」

・成澤孝人先生のコメント

13条を変えられることの意味は、すべての人権の総論規定なので、すべての人権が「公益及び公の秩序」のもとに服することになる。それが狙いだ。憲法学では「公共の福祉とは何だ」という議論をずっと行ってきた。人権は最大限尊重されなければならないが絶対ではない、他の基本的人権とぶつかったとき調整をしなければならない。したがって制約は最小限でなければならない。これが明治憲法からの最大の変化です。明治憲法は、例えば表現の自由を書いているが、治安維持法や国家総動委員法で制約ができるようにしている。日本国憲法は、基本的人権は法律より優位である。22条と29条に「公共の福祉」がある。それは財産権及び経済活動の自由は制約しないと弱者を保護できない。経済活動の自由を制約しても憲法違反ではないと言っている。その他の人権への制約は必要最小限としている。法律が経済活動の自由以外の人権を侵すときは、裁判所は場合によって法律を違憲とする。それが自民党の改憲草案ではできなくなる。公の秩序に人権が服するということになれば、法律が違憲となることは基本的にありえなくなる。だから明治憲法に戻すことになる。

12条の改悪も問題。人権は人を犠牲にした濫用はできない。全員平等に人権は保障されていなければならない。もし政府が間違ったことをやっている場合は積極的におかしいという責任があることを言っている。それを「自由及び権利には責任及び義務が伴う」としているが、憲法は政府が守るべきものであるであるから、憲法のレベルで国民の義務が伴ってはいけない。世の中の流れに対して文句を言う人は排除される危険性がある。

13条の「個人」、憲法学では会社の人権についても議論がされていたがそれは間違っているとの根拠となっている。家族や社会の意見に対しても個人として主張できるが、「人」に変わるとそうではなくなる。

新しい人権は「幸福追求権」から出てきている。何でも新しい人権ではなく「個人の尊重にとって必要な人権に限られるべき」というのが奥平先生や樋口先生の考え方。そこで「プライバシー権」「自己決定権」が13条から認められている。「憲法にプライバシー権が入っていないから変える」というのは間違い。

14条「障害」については、憲法学では「社会的身分」に入れて考えている。本当に平等かという問題はあるが、国が差別しているということはない。今起きている差別の問題は社会の問題であって法律で考えればいい。14条は13条とセットで、個人を個人として認めず一つの集団でレッテル貼りして差別することは、個人の尊重に反する。

 

■第15条~17条

・レポーター八幡雄二さんの問題提起

「長く日本に住む外国人をひとくくりにせず多様な意見を持つ一人ひとりとして選挙に参加してもらうのは民主主義の一歩前進となる」「選挙は議員や政権を担当している与党に対してすべて政策に白紙委任しているわけではない。よって国民世論と政府の政策に大きな不一致がある場合、政府は国民の意見を聞かなければならない」「民主主義の実現のために国民は常に監視の姿勢と創造する力を持ち続けることが必要。

・成澤孝人先生のコメント

「全体の奉仕者」性は公務のレベルの高さに比例する。「公務員選定・罷免権」は、昔は教育委員を選挙していた。国会議員は直接民主主義性になるので罷免権は含まないと考えている。

改憲草案では「主権の存する国民」という言い方で完全に在日の皆さんを排除することになる。天皇を主権とする国家に在日の人は入らない。公務員からの排除も想定しているのではいか。旧植民地国の人には選挙権を認めるべきだ。国籍があったにもかかわらずサンフランシスコ条約の後奪った。

 (文責:中川博司)

 

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憲法ゼミニュースNO2

2016-12-08 12:36:36 | 憲法ノート

(11月14日の憲法ゼミの報告です。何かと忙しく来週は3回目のゼミとなります。)

■第1章 天皇

・レポート要旨

自民党改憲草案について「天皇を元首とすることの意味は何か」「国旗国歌を尊重すると書かれている意味は何か」「元号が憲法で明記されることの意味は」「天皇の権能で憲法の定める国事に関する行為のみを行いの“のみ”が削除された意味は」「内閣の助言と承認から“進言”に変わった意味は」。

・参加者からの質問・意見

「なぜ天皇が必要なのか」「102条で憲法の遵守義務者から天皇をはずしている」「大日本国憲法に戻るのではないか」

・成澤孝人先生のコメント要旨

「イギリスの立憲君主制を日本でやろうということ。元首とは国家を代表する人、イギリスはエリザベス国王。建前は王様が統治する、その権限を内閣が代行しているという国家の仕組み。イギリスでは施政方針演説は女王が行う。イギリスでは解散権をなくすなど王様の権限を縮小している。日本国憲法は最初から天皇の国事行為は政治的なものを除外している。自民党改憲草案は、天皇が権限を持っていて内閣の進言によって国事行為を行うというロジックになっている。

憲法には法律では侵せないものを確保するという意味がある。憲法を改正しない限り国旗国歌尊重義務はなくならないし、元号を廃止することはできない。

GHQと天皇擁護派の利害が一致して、日本の憲法が天皇を救った。今の天皇は公的行為を一生懸命やって国民に認めてもらわなければならない。今回のメッセージは、これから動けなくなれば象徴としての機能を果たせなくなるので変わってもらい象徴機能を果たしてもらいたいということ。」

 

■第2章 安全保障

・レポート要旨

改憲草案で章題が「戦争の放棄」から「安全保障」に変わっている。現行では明確に戦争を放棄し、過去の戦争への反省から第9条の精神を表現しているが、自民党改憲草案では戦争を放棄しながらも国防の重要性を強調するため「安全保障」としている。国際法上は独立国の国防を保障している。しかし、この定義は裏を返せば武装しない権利も保障していることになる。・・・日本は武装しない権利を憲法上選択している。現行憲法9条では戦力の不保持、交戦権の否定を明確にしているが、国家の自衛する権利まで否定していないとの「国際的な普遍性」の解釈の基で自衛隊の存在を「自衛隊法」という法律上で容認している。したがって憲法上の解釈から現在の自衛隊の「軍事戦略」は専守防衛であり、自衛隊の発動は内閣総理大臣が「国会」の承認を経て行うものとしている。また自衛隊の様態を統制する「文民統制」が敷かれ国会と国民の監視下にある。その「武装力」は必要最低限とされている。しかし、これらはなし崩し的に反故にされている現状がある。改憲草案9条5項は明らかに「軍法会議」の設置であり、隊員・公務員を裁きの対象にしているものの一般国民への危険性も考えられる。

・参加者からの質問・意見。

「改憲草案では、戦争に巻き込まれることになる」「現行憲法9条2項『前項の目的を達成するため』が自衛隊を認める理由になっているので、いらないのではいか」「改憲草案9条3項領土の保全は資源確保を目的にしているのではないか」「背景に軍事産業が台頭してきていることがあるのではいか」「9条3項で徴兵制を認めることになるのでは」「今の若い人は『自分たちで国を守らなければならない』という意識がある」「天皇制とセットでの9条ではないか」

・成澤先生のコメント要旨。

安全保障にしたのは国際政治学でいう均衡論。パワーバランスで考えても、社会主義陣営がなくなってソ連があった時より今の方が不安だというのはどうかしている、中国もアメリカと貿易でつながっている。仮に中国が冒険主義的に戦争をしかけてくれば、勝てるわけがないので戦わないで命を守るしかない。現政権の解釈でも「自衛のための戦力ももたない」という解釈である。

自衛隊合憲論の人たちとも共闘しなければならない。自衛隊が違憲であることを前提にして、合憲であるとしても集団的自衛権は認められないという考え方である。72年の集団的自衛権は違憲だという解釈は間違いで、砂川判決で自衛権を認めているところまで戻り、自国を守るための限定的な集団的自衛権はあると言った。

9条が自分たちを守っていると若い人たちが思えるかどうか。

軍法会議の対象は軍人と公務員です。

市民の活動を軍隊が抑圧する。南スーダンの自衛隊派遣は反対しておかないとまずい。初めての戦死者が出るかもしれない。

(文責:中川博司)

 

次回は、12月12日(月)18時から、松本市勤労会館2F第4会議室です。

範囲は、第3章 国民の権利と義務 10条~14条と15条~17条

 

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