こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

我が家の庭先で羽休め

2010-07-18 16:17:31 | 季節風物


我が家の庭先を黄アゲハが舞っていた。しばらく舞って、羽休みに小枝に止まる。飛んでいかないうちに、カメラにおさめようとする。動じることなく、ずっと止まっている。羽をひらいたところがいいなと思ってシャッターチャンスをうかがうが、いっこうに飛び立つ気配もない。タバコ2本吸って待っていたが、結局はこちらの根気負けで、すみません羽は閉じたままです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「韓国併合100年」と日本 「植民地責任」から考える

2010-07-18 10:56:08 | 活動日誌
7月17日日朝県民会議が主催する学習会で同志社大学の大田修教授の講演を聞く。



私が、ノートに下線を引いた部分だけを抜き書きすると以下の通り。

Jリーグでの差別発言事件や「在特会」による朝鮮学校襲撃事件など、民族差別事件が起こり続けているのは何故か?植民地(支配)責任が希薄だからではないか。植民地責任とは、政治的支配全体から生じる責任と被害からの回復を求める側の双方の問題を含んでいる。植民地支配は差別、排除する政治システムだある。日韓条約は強制的なものであったとことを共通認識にしなかればならない。強制連行も、暴力性や賃金の未払いなど強制性をもったものとして理解すべき。日韓条約は最初から植民地責任を問うことを前提としない交渉であった。村山談話で植民地支配を謝罪したことを基礎に、韓国併合は強制であったことを明確にし、個人補償もする政策に転換すべきである。

・・・大学の時、通称「東学党の乱」と呼ばれている、農民反乱を研究していた。苛斂誅求を受けていた農民たちが地主に対して起こした戦いが全土にひろがり、一時は政府と和約を結び、平等な理想郷をつくるところまでいく。しかし政府は援軍を清王朝に要請、日本も加わり農民軍は制圧されてしまい、その後日清戦争に発展していく。なぜ農民軍は負けたのか?一つは、最初に政府軍と戦った時は徹底したゲリラ戦であったが、理想郷ができてからは守りの戦いとなってしまったこと。二つ目には、政府軍と戦った時は、土地を持つ中農層もともに搾取を受ける身としてたたかったが、理想郷では平等政策がとられ中農層も標的とされ、日本軍と戦うときには協力を得られなかったことが農民軍の敗因となった・・・大田教授の話の中に日清戦争で農民軍は間違いなく日本軍と戦っているのだから、日露戦争もそうだが、東アジア戦争というべきという話を聞いてちょっと懐かしかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする