11月14-15日に第8回フクシマ原発視察交流ツアーが実施され、松本などから19人が参加し、いわき市内において、反原発同盟や原発労働センター、いわき母笑みねっと等の皆さんと交流し、翌日はJビレッジ、天神岬、福島第2原発、請戸小学校等を視察しました。
福島第一原発が立地し、帰宅困難地域にある自動車販売会社は、地震で崩れたまま放置されているなど、10年前のまま放置されている景色がありました。写真は、震災遺構として残すこととなった浪江町にある請戸小学校の体育館の時計です。14時46分の地震があり、請戸小学校の児童は全員避難したあと津波が押し寄せた15時37分で止まった時計です。
■国策に翻弄された二人の出会い
37年間反原発運動を続けてきた石丸小四郎さん。長野信越放送の取材を受け、放送された番組を見たお話から始まった。
番組では、長野県飯田市出身の岩間政金さんが国策で満蒙開拓に行き、命からがらに故郷に戻ったが居場所はなく、茨城から葛尾村へ開拓に入り畜産で生計を維持してきた。それが3.11東京電力福島第一原発事故で避難を余儀なくされたが、飼育している牛に餌を与えるため一人自宅に戻る。役場の人や地域の皆さんの説得を受け避難先から二日に一回餌をやりに来るが、日に日にやせ細っていく牛を見て殺処分に。「この気持ちは誰にもわからない」と嘆く岩間さんの姿に言葉が出ない。
■なぜ?福島に原発が誘致されたのか。
番組では、赤宇木の元区長今野さんの姿を追う。230人が住んでいたがすでに40人が死亡している。中には7人家族のうち4人が亡くなった家もある。原発事故後の16日に避難した人が多い。原発関連死として届け出てもいない。今野さんは、赤宇木の一人ひとりの歴史を記録している。
石丸小四郎さんは、番組の後岩間さんと今野さんに会いに行く。あらためて国策として進められてきた「原発がなぜ福島だったのか」調査を始める。
今から63年前、1958年のことである。世間は皇太子(現上皇)と美智子さまの結婚や長嶋がデビュー戦で4三振したことなどが話題となっていた。東京電力は、この年福島の浜通りが原発建設の適地であると発表したのだ。前年、早稲田大学や東京農業大学の学者が「地域開発調査」を行い、浜通りは過去に地震がないことなどを適地としての理由にあげていた。
石丸小四郎さんは、祖母から過去に大きな地震と津波がこの地方を襲ったことを聞いていた。昨年12月地元の歴史家による講演で「17世紀初頭の地震で脇が浜村が津波によって失われた」ことを学ぶ。福島第2原発を南に見下ろす天神岬の高台に北田天満宮がある。由緒書には脇が浜村には203戸あったことが記されている。石丸小四郎さんは、「歴史を改竄した」と東京電力に憤りを隠さない。
■広野火力発電所誘致でつくられたJビレッジ
広野の5.6号機火力発電所建設の見返りとして周辺市町村に135億円が配布された。その資金でJビレッジはつくられた。Jビレッジは、3.11以降、廃炉作業の拠点となった。労働者は、ここに集まり車と衣類を変えて原発へ向かい、帰りにここでまた着替える。様々な汚染物質があった場所が聖火リレーの出発点となった。この日の地表で0.25μSv。
■政府は汚染水を無味に流すな
私たちが訪れる前日の11月13日「汚染水を海に流すな!海といのちを守る集会」で「福島の海で漁業を続けていくことを基本スタンスとしていきたい」と訴える野崎哲小名浜機船底曳網漁業協同組合長。
政府は、2021年4月13日、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う「トリチウム等を含むALPS処理水」の海洋放出方針を決定しました。漁業関係者との「関係者の理解なしには如何なる処分も行わない」という約束を反故にしました。
ALPS処理水は、事故を起こした原子炉から発生する放射能汚染水であり、通常の原発から出るトリチウム汚染水とは濃度も量も全く違います。トリチウムの除去技術が確立されるまでALPS処理水の陸上保管を継続することを地元の皆さんは求めています。
■ずさんな東電の労務管理
2017年10月26日福島第一原発構内で車両整備工場で働いていた猪狩忠昭さんが過労死した。2018年10月過労死として労災認定、未払いの残業代の支払いが命じられた。同年12月損害賠償請求裁判を提訴、①長時間労働と知りながら放置した、②救急医療体制の不備、③東電は記者会見で「業務と関係ない」と繰り返し発表した、ことを争った。2021年3月福島地裁いわき支部は、①を認め、②③は棄却された。遺族は②について控訴。9月16日仙台高裁は和解を強く勧告した。遺族の方のお話を聞いた。
「一年があっという間。夫が亡くなって10月で4年。あきらめずにたたかってきてよかった。一審の判決を受けて控訴は期待していなかった。原告として「おかしいことはおかしい」と訴え続けなければいけないということを決めた。和解案がどのように示されるかはわからない。「東電、宇徳に弔意の気持ちはあった」というが、「人が亡くなった時にあたりまえの対応をしてくれなかった」、被爆労働の状況が命を助けられるはずがないと裁判長が言ってくれたことがたたかってきた成果だと思うが。
和解ありきではない。がんばれば夫が戻ってくるというならがんばる。どこかで決着をつけなければならない。原発労働者の状況、ERの体制の改善、作業者を守るなにかを残したいという思いはある。
原発が沢山の人の命を犠牲にして成り立っている。3.11があっても何の法整備がされていない。子どもの命まで放射能と因果関係がないということが人としてどう考えるのか。子どもたちを守るのが大人の役割。国が整備すべきだ。法律がつくられるようにしなければならない。国とは何だ?国民の利益を守るべきもの。まったく逆のことをやっている。国民の健康も守らない、利益も守らない。東電・宇徳がおかしいと言わない国がおかしい。
夫のことがなければ何も関わってこなかったことを恥じる。何かを残すこと、夫の命をムダにしない。そのために何を頑張ったらいいのか。ラストスパートをがんばる。責任が取れないなら廃炉にしろ。どっちもできないのはおかしい。」
■チームMAMAベクちばゆみさん
昨日は原水禁松本地区協議会さんによる「第8回福島原発の現状を学ぶ現地視察交流ツアー」に参加させていただきました。
双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんの記念講演は福島県に原発が建設された当時にまで遡る内容で、過去に地震災害が起きた事実を偽わることからスタートしたことなど、建設ありきの嘘だらけの国のやり方、それに加担する福島県の姿勢を改めて学びました。
国は変わらないばかりか騙しのテクニックはますますレベルアップしています。
事故を起こした後の原発がどうなっているのか、ここに住む私たちですらポジティブ発信ばかりのローカル番組など含め現実を伝えようとしない情報に麻痺させられ、知ることができません。
自分から情報を掴むしかない、そうじゃないと大事なものを守れないのだと思います。
他には震災関連死、避難地域の関連死、甲状腺ガン問題、汚染水問題の現状、東電廃炉作業労働者の過労死訴訟の報告など学ばせていただき、盛りだくさんの勉強会でした。
私からは原発事故後の子どもを守るための取り組みを報告しましたが、松本のみなさんとは「いわきの初期被曝を追及するママの会」を立ち上げる前から交流をさせていただいているので、初々しかった(?)頃と比べ「ゆみさん、だいぶたくましくなったわね〜」と、毎年そんな風に言われるようになりました笑
原発はどこかでまた過酷事故がいつ起こってもおかしくない危うさだらけで、起こったとしても国も県も市民を守らず、逃さないようにするし逃したとしても帰還政策により戻らされる。
その帰還政策は国や電力会社が補償賠償から逃れるためでもあり、避難者が「戻らない選択」をすれば「戻れるのに戻らない」という扱いにより切り捨てられる。
慈しんできた自然は汚され、そこでのいとなみは続けられなくなり、目をやれば悲しみに暮れ、もとには戻らない実害をうけながらも風評被害とされてしまうが、風評としなければどうにもならない厳しい現実を強いられる。
世界中の原発産業を維持させるため、復興した元気な姿をアピールし、原発事故は起こったとしても復興できるというストーリーが作られる。
それが10年の間に学んだことです。
そういうストーリーに乗せられてしまうことで被曝から守られるべき弱い者たち、子どもたちが守られることもなく、更なる被曝を強いられる。目に見えない放射能が確かめられることもなく放置され、未来の人たちは分からないまま被曝を重ねていく、、という悲劇が無責任さの中で繰り返されていくのだと思います。
未来は市民がなにを選択するかにかかっていると思うので、地域を超えてさまざまな問題を共有できることがとてもありがたいです。
松本のみなさん、ありがとうございました
■双葉地方原発反対同盟の千葉親子さんの感想
長野県松本地区原水禁主催の第8回福島原発のの現状を学ぶ現地視察交流ツァーの皆さんが11月14日~15日に来福されました。双葉地方原発反対同盟が受入団体となり、同団体発行の「脱原発情報」の編集委員として斎藤さんと私もお手伝いをさせて頂きました。
記念講演に石丸小四郎さんが、明治時代から、福島県は都会のエネルギー基地として目を付けられ1950年代は戦後復興に、尾瀬ヶ原を源とする只見川水力発電群の建設、1960年代は双葉地方の太平洋沿岸に原子力発電所の建設、地元住民への説明はダムが出来れば大都会、原発は明るい未来。2011年の原発事故で、帰還困難区域となった地区は、多くの戦後満蒙開農民拓引き揚げ者の入植地でも有った。妙にリンクしている。
巧妙につながる、水力発電と原発は過疎と貧困。人口密度が小さい、危険極まりない核の脅威。地震大国の日本の姿を示し、日本中何処にも原発を建設できる場所は無い事、事故後の原発がどの様に今後推移するのかも原発崩壊の危機を話された。
関連の話に、斎藤章一さんが「初期被ばく問題と避難地域の関連死」。
私は「小児甲状腺がんの現状と取り巻く理不尽な問題」この子供たちを置き去りにしないでと話しました。
報告者は3名で、フクシマ原発労働者相談センター狩野光昭さんは「過酷な労働者の実態の相談。汚染水問題の現状」。
「過労死訴訟の報告」にご遺族といわき自由労組。
初回からの報告者をされている「放射能から子どもを守るネットとの交流」でいわき母笑みネットワークの千葉さんが詳細な調査を行政につなげる大切さを話しました。
2日目は
現地視察です。最近、震災遺構としてオープンした「請戸小中学校」海岸から300メートルの学校で、一人の犠牲者も出さず避難が出来た様が、その瞬間からの避難過程が克明に記録され、後世に伝える役目をしていると思った。子どもたちの声が聞こえるようだ。混乱のなか避難最優先に徹した先生の指導が、児童生徒と一体となり当時を再現している。自校方式の給食調理施設や子どもの背丈の高さの手洗い、水飲み場の水道、この校舎を津波は飲み込んだのだ。
原発建設の明るい光を載せた町の広報誌は、原発推進の記録として、愚かな歴史として掲示している。
掲載写真を辿りながら、思いをはせて頂ければと思います。