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中国は、2020年までに、日本を略奪するために、超限戦を仕掛けています。
それは情報戦・心理戦・法律戦です。
NHKや朝日や毎日・TBSなどの大手の新聞テレビをはじめ、中日新聞や沖縄の新聞など左翼のマスコミを操っている中国政府。
日本国内でありながら、そのあやつられぶりは、あきれるほどで、
中国国内の「香港」のテレビよりも、あるいは、台湾よりも、
NHKや朝日やTBSの方が、より、中国政府の思いのままに報道されています。
日本国民が、中国の思いどおりに情報で洗脳されているということです。
さて、では、具体的な情報工作としてどのように仕組まれているのか、
「南京大虐殺」と「朝日新聞」の関係を見てゆきましょう。
⑧です。2012年「WILL」2月号
【誰が「南京大虐殺」をねつ造したか】古荘光一著を紹介しております。(289ページよりの引用です。ここから↓)
「南京大虐殺」のでっちあげは、蒋介石(しょうかいせき)の戦法と密接にからんでいた。
時代が変わって、1949年に大陸を支配するようになる中国共産党は、
蒋介石を不倶戴天(ふぐたいてん)の敵としながら
その置き土産(みやげ)の「南京大虐殺」はちゃっかりと受け継ぎ再利用のために細工し、
改めてドイツ人を利用し支那人ならではの手口を使った。
遅くとも、1957年(昭和32年)までに最低二つの文書をドイツ語と英語で偽造した。
支那事変当時、南京のドイツ大使館に勤務していたゲオルク・ローゼンが本国にあてて送った体裁の文書である。
日本軍が残虐行為を働いたこと、その現場を撮影した映画フィルムが存在することの二点が骨子である。
第二次大戦後、ドイツは大量の文書を残したまま外交官を引き上げ、
文書はしばらく支那人の管理下にあった。
1949年、中華人民共和国が誕生したあと、
支那側はそれを北京にできた旧東ドイツの大使館に返還した。
その際に、偽造文書を紛れ込ませたようである。
旧東ドイツの大使館は、これを1954年から57年にかけて本国に送り返した。
中国共産党は1972年の日中国交正常化後を見越して
「南京大虐殺」を利用することをたくらんだ。
そのための布石として
前年に、朝日新聞の本多勝一記者を支那に招待し
本多記者はその際の取材に基づいて
『中国への旅』を同紙に連載した。
これが日本国内で反響を呼ぶと、追撃のため、
1985年には南京に『大虐殺』を宣伝する『記念館』を建てた。
偽文書(ぎぶんしょ=ニセものの文書)の大量生産にも着手した。
その翌年、なぜか当時の東ドイツ出身の支那学者ヴォルフラム・アドルフィが
ベルリンで先の文書を”発見”する。翌年、南京でそれを報告した。
アドルフィの著作で確かめると、「南京大虐殺」に関する知識は、あるアメリカ人の本で得たとある。
ティンパーリの『これが戦争だ』や
フィッチらアメリカ人宣教師がでっちあげた大量の文書に目をとおしていない。
本物のローゼン文書を連合国が発見したとは夢にも思わず、
自らが発見した文書を本物と信じたようだ。
(⑨へとつづきます。)