4日ぶりの更新になります。こんなブログでも続きを楽しみに読んでくれている方がおありでしたら、お待たせしてすみませんでした。この週末は10年来続く大事な学校口演と、その後は外仕事に時間を費やしていました。
さて、お話のつづきです。それは7ヶ月ぶりの帰省でした。それも、感傷に満ちた心持での帰郷でした。
今から思うと、そんなにちょくちょく帰って来てはいけなかったんでしょうね。せめて2,3年くらいは行ったきりで、石に齧りつくような気持ちで、勉強しなければいけなかったのです。が、僕はこの短い1年の間に、3回も故郷に帰っています。最大の要因は親離れできていなかったんでしょう。ほんとうにあの頃の僕はまったく子供で、思い立つと我慢ができなくて、辛抱ののかけらもありませんでした。
卒業公演で坊主頭になった僕は、まだ髪の毛の伸びきらない頭で、また衣装に使った黄緑色に染めたおかしなシャツで、故郷へ帰りました。それはよんどころないところから社会に復帰した人のようにも見えたことでしょう。
とにかく僕は、結婚を前日に控える慌しい彼女に連絡を取って、逢う約束を取り付けました。
出逢ったらああも言おう、こうも言おうと頭をめぐっていたことは、いざ逢ってみると、何も言えませんでした。ただただ涙が溢れてきて、言えた言葉は「おめでとう、幸せになってください」だけだったと思います。
実のところそれ以上はよく憶えていません。彼女がなんと言ったのか、僕がどう答えたのか・・・。
彼女の結婚式当日は雨でした。僕の頭の中にはむかし観た「卒業」という映画の、ダスティン・ホフマンの姿ばかりがめぐっていました。
しかし、それは映画のことで、いくら演劇に憑かれた青年でも、現実はどんなものかわかっていました。
何者でもない自分。経済的にも生活力のない自分。そんな人間が人一人幸せになんか出来っこない。
傘をさして、ひとりふらふらと町に出た僕は、結婚式場の前に立ち、両家の名前を記した白い文字の看板を、しばらくじっと見つめていました。そのあとは傘もささないで、雨に濡れながら町を歩きつづけました。
今の自分だったならば、この事をバネにもっと東京で頑張ってみようと思うんですが、それが劇作家としてのストーリー展開のセオリーなのでしょうが、この時の僕はそうは思わなかったのです。
しっかりと就職して経済的にも自立した自分だったならば、彼女に結婚だって申し込めたろうに、幸せにしますと言えたろうに、そんな後悔の念が僕を支配していました。そんなこと、故郷を出る一年前にほんとうは、解っていなければいけないことだったのに・・・。
芝居を捨てよう。普通の平凡な生き方をしよう。僕はこの2日間の帰省で、衝動的にそう決心してしまいます。
取り急ぎ、東京へ戻り下宿先を引き払い、荷物をまとめてまた故郷へ舞い戻りました。これはまったく卑怯なことですが、説得されて翻意を翻すことを恐れて、またその後ろ暗さから逃げるように、劇団にはひとことも告げないまま帰ってしまったのです。
社会人としてはまるで失格です。その尻拭いを親にしてもらったのですから、情けない話です。自分のしたことながら腹が立ってきます。もう26年も前のことですが・・・。
さて、お話のつづきです。それは7ヶ月ぶりの帰省でした。それも、感傷に満ちた心持での帰郷でした。
今から思うと、そんなにちょくちょく帰って来てはいけなかったんでしょうね。せめて2,3年くらいは行ったきりで、石に齧りつくような気持ちで、勉強しなければいけなかったのです。が、僕はこの短い1年の間に、3回も故郷に帰っています。最大の要因は親離れできていなかったんでしょう。ほんとうにあの頃の僕はまったく子供で、思い立つと我慢ができなくて、辛抱ののかけらもありませんでした。
卒業公演で坊主頭になった僕は、まだ髪の毛の伸びきらない頭で、また衣装に使った黄緑色に染めたおかしなシャツで、故郷へ帰りました。それはよんどころないところから社会に復帰した人のようにも見えたことでしょう。
とにかく僕は、結婚を前日に控える慌しい彼女に連絡を取って、逢う約束を取り付けました。
出逢ったらああも言おう、こうも言おうと頭をめぐっていたことは、いざ逢ってみると、何も言えませんでした。ただただ涙が溢れてきて、言えた言葉は「おめでとう、幸せになってください」だけだったと思います。
実のところそれ以上はよく憶えていません。彼女がなんと言ったのか、僕がどう答えたのか・・・。
彼女の結婚式当日は雨でした。僕の頭の中にはむかし観た「卒業」という映画の、ダスティン・ホフマンの姿ばかりがめぐっていました。
しかし、それは映画のことで、いくら演劇に憑かれた青年でも、現実はどんなものかわかっていました。
何者でもない自分。経済的にも生活力のない自分。そんな人間が人一人幸せになんか出来っこない。
傘をさして、ひとりふらふらと町に出た僕は、結婚式場の前に立ち、両家の名前を記した白い文字の看板を、しばらくじっと見つめていました。そのあとは傘もささないで、雨に濡れながら町を歩きつづけました。
今の自分だったならば、この事をバネにもっと東京で頑張ってみようと思うんですが、それが劇作家としてのストーリー展開のセオリーなのでしょうが、この時の僕はそうは思わなかったのです。
しっかりと就職して経済的にも自立した自分だったならば、彼女に結婚だって申し込めたろうに、幸せにしますと言えたろうに、そんな後悔の念が僕を支配していました。そんなこと、故郷を出る一年前にほんとうは、解っていなければいけないことだったのに・・・。
芝居を捨てよう。普通の平凡な生き方をしよう。僕はこの2日間の帰省で、衝動的にそう決心してしまいます。
取り急ぎ、東京へ戻り下宿先を引き払い、荷物をまとめてまた故郷へ舞い戻りました。これはまったく卑怯なことですが、説得されて翻意を翻すことを恐れて、またその後ろ暗さから逃げるように、劇団にはひとことも告げないまま帰ってしまったのです。
社会人としてはまるで失格です。その尻拭いを親にしてもらったのですから、情けない話です。自分のしたことながら腹が立ってきます。もう26年も前のことですが・・・。