この時期というか冬の日本海側や東北地方って
どうも雪のイメージが頭に蔓延っているのです
が、この冬のように集中的にドカッとドサッと
降り続くことなんてそうないのだそうですね。
そういえば逆に夏場のゲリラ豪雨。
あんなのも昭和には無かったように思います。
だからゲリラ豪雪みたいなものなのですね。
雪に慣れている地方の方が雪に埋もれて亡くな
ったり、車がスタックしてしまったり、あり得
ないことが起こっているようで、新潟に親戚が
上越・柏崎・長岡に居ますが、例年になく大変
な様子でした。
今日、その上越・柏崎に自衛隊の救援要請が出
されたようでした。
ありがたいことに祝日の今日もお仕事させても
らいました。
先日から各地で成人を祝う祝典が行われていて
コロナ禍で暗い話題の中、華やかで明るい話題
ですね。
大阪市のように延期であったり、取りやめにな
ったところもあり、お気の毒です。
自分は苦学生でアルバイトに必死だったので、
成人式には参加もしませんでした。
苦学生というのは両親から大学に進学する時の
条件で、入学金は出してやるけど後は自分でと
言われて、素直だったのでそんなものだと思い
込んでいたからです。
三年下の妹は、高校から私学で大学も無条件で
私学に入れてもらい、たいしてバイトもせずに
小遣いももらって。
自分が結婚して妻から疑問を投げかけられるま
では特になぁーんも感じずに、学費から小遣い
も全て自分で賄い、家に月額3万円の食費まで
入れていました。
ま、両親とも他界してしまっているので、苦情
の行き先もありませんが。
でもそのお蔭でいろんな人に出会い、優しさに
も触れさせてもらい、人情と人生経験面では
とても良かったように思っています。
こんな世間の状況下で開催も危ぶまれていた成
人式に参加させてもらえて感謝するコメントを
述べている若者には、「おめでとう良かったね」
と言ってあげたい。
そういう人は式典が終わったらまっすぐ帰宅す
るとアンケートにも答えていました。
半面、「この後はパーッと飲みに行きます」と
テレビカメラに満面の笑みで答え、「今日だけ
はパーッとやらせてもらいます。」という馬鹿
者。
ウィルスに「今日だけは」なんて筈もないのに。
こういう奴は感染して酷い目に合ってしまえと
ついつい思ってしまいます。
成人式に縁のなかったオジンの僻みと思われる
かも知れませんが、ハタチがなんぼのもんやね
んと、チャラチャラ晴れ着を着て浮かれている
同級生を冷ややかに見ていた自分は、あんな上
辺だけの式典に参加しなくて良かったと、今も
思います。
あ、妹は立派な振袖を買ってもらって式典にも
参加していました。
父は地方公務員でしたが退職時には部長級、
母はベテラン看護師で、今振り返ってみたら
ご近所では一番早く電気冷蔵庫もクーラーも
電話もテレビも付いた家でした。
何で公立の学校でないとダメと制限されたり
苦学生で居ないといけなかったのか?
今更ながら苦笑しか出てきません。
妹の子供(姪)達には塾の費用も支払ってや
っていたようで、几帳面な父が全て書き留め
てありました。
ウチの子供たちは一切もらっていません。
何かあったら一番頼りにされていたのが不思
議でなりません。
40年以上経って、じわじわと長男で上の子
だったことに「しんどかったなぁ」と思いま
す。
うちは家そのものが貧しかったので
大学は自分で行かなくちゃ、と高校の頃から小さなバイトをしていましたよ。
成人式なんてどこでやっていたかも知りません。
振袖は20歳を過ぎてから自分で稼いだお金で買いました。
結婚費用も自分でまかない、着物も揃えました。
母の貸し衣装も弟の初スーツも私が用意しました。
ついでに弟の専門学校入学費用も私が出しています。
ただひたすらに働いていた(バイトと言うレベルではない)大学生活でした。
まあ、いろいろありますね。
お金だけですべてのカタはつかないし幸福は買えないけれど
お金があれば解決すること悩まなくてもいいことというのも多々ありますね。
私は、下宿中で、故郷に戻るのが面倒だったのと、その時はスーツも持って無かったので!。
娘たちは、そんな式典意味があるの?というタイプかな?
私は、下宿代とお小遣いは、親に、学費は、アルバイトで稼ぎました。
お互いに不遇の時代を過ごして来たようですね。
私も高校からと言いたい所ですが、高校進学が決まってから。
仮に受けた私学の高校も特進クラス合格が決まってましたが
父が公立でないと無理と頑張りましてね。
大阪市立中学三年生の選ばれし者だけが受講する講座にも校長推薦で
特待無料で参加させて下さって居たので、担任が残念がって居ました。
普通、女には教養などという時代だったのに不思議です。
妹は学力はイマイチだったのに当時バレーボールで有名な
私学女子校進学を強請って行きましたが、部員の多さに
尻尾を巻いて、即、フェンシング部に。
防具や面、ユニフォームにもお金が掛かるのに変ですよね。
そんなに貧乏な家庭では無かったように思いますが、私にはねえ。
でもアルバイトで年間350万ぐらいは稼いでいたので
学費や小遣い、生活用品など揃えてもかなり余裕はありました。
当時大卒の初任給が5〜6万で年間、ボーナスも入れて90万ぐらいが相場。
社会に出た頃には景気もあがって、大卒で240万ぐらいが相場だったので
バイト生活のほうが良いじゃんとガックリしました。
結婚費用も家に入れていた食費を貯めていてくれていたのを
返してくれましたから、単純に140万ぐらいは溜まってました。
両親とも晩年はお金こそ言いませんが、何かと頼って来たのが
嫁に出した妹にはその後孫にまで出資してたと知って啞然でした。
妻も同じ様に担任から進学を勧められる優等生だったのに
学力の劣る弟を進学させるために諦めさせられたと聞いて
それでも最期は私達夫婦に頼って居ながら、外孫には出費。
同じような境遇を辿ってました。
親の面倒をしっかり診て見送って気が付いたら
頼りたくなる息子達はそれぞれ別。
エライ星の下に生まれてきた夫婦です。
それも人生、コレも人生ですよね。
お祝い出来る人、してもらえる人。
それはそれで、おめでとうさん。
地道に余生を生きまひょね。