今流れている『時』なんてものは地球人が目安として自分たちが勝手に使っているだけの尺度です。
太陽系の中を太陽を中心に一周するのが一年365日。
地球の自転が1日。
それを24分の1にしたのが一時間。
そんな尺度に追われたり焦らされたり、全く無意識の中で気にして暮らしています。
5月に亡くなった義父が生前、白内障の治療などしなかったまま、殆ど見えていないのに直径40Cmほどのまん丸い壁掛け時計を枕元に置いて、抱き抱えるように大事にしていました。
面会に行く度に『電池は大丈夫か?』と誰彼構わず何度も聞くので、みんな辟易としていました。
今回、一般病棟は何ともないけれどICUのだだっ広い部屋にポツンと留め置かれた時に、定量点滴の機械が上下に4台並んだ向こうの生理食塩水の点滴の袋をカバーするように掛けられた丸い電波時計を、止血のために6時間の圧迫軟禁状態に緊結されていた二回のベッドで、薄目でぼや~っと眺めていて、【あー、この安堵感が欲しかったのか~】と理解した気がしました。
電波時計ながらアナログのムーブメントの秒針が、スムーズに流れるように動いて、時たま長針がじわりと追いかけるように廻る。
特に時間が気になる訳でもなく、気にしたところで動けもしないまま眺めているだけだけど、そう言う時空間をこの時計と共有してるのかぁ、なんて思いながら。