人生第2幕スタートして20数年、畑を掘り・印を刻り・木を彫りの半分・自然に親しむ生活です

篆刻(てんこく)という
漢字の文化、庶民的な
円空佛、こんな世界が
今も存在している!
つれずれ日記です

縦書きと横書き

2019-12-23 18:50:01 | 篆刻


今年も残り僅かですが本日、令和元年12月23日(月曜日)は快晴で気持ちがいいです。。
小生は庭の落ち葉の清掃に励みます。
家内は机上に硯と筆、そして万年筆を並べています。
年賀ハガキと便箋も準備完了です。
「おっ、今日は愈々っという感じだね。
 年賀状は毛筆で、手紙は万年筆で書くの?」
「そうよ。筆ペンは苦手で毛筆の方が書きやすいのよ。
 手紙はボールペンより万年筆の方が気持ちが伝わるでしょ」
(そういえば1週間ほど前から書き始め、まだ全部完了していなかったんだ。
 年賀状を出すのは出来るだけ25日までに、だったよね)


考えてみますと頂く年賀状は「縦書き」と「横書き」が混在しています。
宛名書きは勿論、縦書きが大半ですが、稀に横書きもあってちょっと驚きますが。
でも時代は高齢化で頂いた喪中はがきの枚数は年々増えています。
ご家族にとって寂しいお正月を迎えられる方には心より同情申し上げます。

縦書きと横書きと申せば、パソコンのブログは横書きのみに設定されています。
このパソコンの文字入力で横書きというのはスクロールする関係もあるんでしょうか。

そこで思いついて本屋さんに立ち寄り児童図書コーナーへ。
幼稚園児向けの絵本はほとんど横書きですが、小学校に入学しますとなぜか国語の
教科書のみ縦書きになっています。
社会・理科は横書きになっています。

国語学者で書家でもある石川九楊氏は
「縦に書け」(横書きが日本人を壊している)
という著書を出しておられます。
氏によれば書体の明朝体は縦画が太く、横画は細い。
横画により文字のバリエーションが作られ、縦画により文字が立ち上げられる。
縦は天と地を結ぶ存在になっている。
その証拠に白紙を机の上に置き、書き始めるのは上の方からである、と。

そういえば古文書では全て縦書きになっています。
書道でも仮名は縦書きでないと上手く書けません。
漢字の筆順も縦書きがベースになっているとのことです。

大人向けの図書はほとんど縦書きです。
雑誌も文庫本も新書も小説も同様です。
縦書きはフォーマルな印象で文章が締まるという感じです。

作品展などの案内状の本文は逆にほとんど横書きですね。
カジュアルな印象を与えたいからでしょうか。

老妻のトリセツ

2019-12-20 18:50:23 | 日記


過日、某駅・某所で待ち合わせ。
定刻より20分ほど前に到着。
(10分ほどブラブラしようかな)

お土産併売の書籍コーナーが目に入りました。
どんな本が並んでいるのかナ、と書棚を眺めていましたら
「夫のトリセツ」
が目に飛び込んできました。

えっ、夫(おっと)を商品扱いか、まあ目くじら立てずにパラパラと。
「取扱い説明書」の題名はこの本を売るための戦術なのでしょう。

夫婦にも若夫婦、中年夫婦、老夫婦など年代により様々なスタイルがあります。
望ましい姿は円滑な意思疎通があり、信頼関係の維持でしょう。
夫婦の関係は本人たちしか分からない世界です。

亭主関白でもその逆でも本人たちがナットクしていれば全く問題ないと思います。

高齢になりますと予期しないことも発生することもあります。
どちらかが介護の必要があったり病を得ている場合はトリセツという言葉は関係ありません。

まあまあお互いに普通の日常生活を送れる健康状態であれば、摩擦を生じるのも自然です。
夫婦というのは本音のぶつかり合いですからお互いに気配りも必要です。

今の時代は夫婦の力関係はフラットと思いますが、妻を所有物と勘違いしますと摩擦係数も
大きくなります。
(オレノ イウコトガ キケナイカ!)
となりがちです。

円滑な関係維持には
つかず離れる(離れず、ではなくて)買い物など同行を強要しない
何を聞いても受け止める、
相手の領域に踏み込まない、
男の出番の雑用はこなす、
自己都合の緊急出費で妻に頼らない工夫、
など色々ありますが人それぞれの処方箋です。
中には金婚式を迎えても新婚当時と変わらないアツアツ夫婦もおられます。

全く別の新書を買ってしまいましたが、新書の値段は10年前と変わらず据え置き状態ですね。



面倒なこと

2019-12-17 13:16:29 | 篆刻

 


年末になりますと「面倒」なことが増えてまいります。
この「面倒なこと」をパスするか、(やってみるか)で結果は随分と
違ってくることもあります。

例えば、年賀状。
最近はいただく年賀状の内、95%程度は表裏ともパソコン印刷です。
便利な時代になりました。
パソコン印刷でも手書きでも心が通うことが第一と思っていますが。
若い人はメールでほとんど済ますと報じられています。

離れて暮らしている中学生以下の孫たちにだけ予め未記入の年賀ハガキを郵送し
「絵でも漫画でも文章でもなんでもいいから、おじいちゃんとおばあちゃんに
 (小生たちのこと)手書きの年賀状を書いて送ってね」

我々、老耄夫婦にできることはチャンスを与え環境を整えること程度です。
1年前もそれぞれに工夫して書いて送ってくれました。
一生懸命工夫して送ってくれた年賀状は貴重な記録です。

あと2週間もすればお正月、最近はおせち料理は家庭で作らなくてもデパートなどで
豪華な品が販売されています。
でもよく観察するとエビ、卵巻きなど各品3~4点しか入っていません。
大勢の家族が集まったらどのように分けるのでしょう。

稚拙なおせち料理でも手作り文化を大切に、と年に1回のことです。
(おかあさん、がんばって!)
30日と31日の2日間で家内はTV番組を見ながら老骨にムチを打って励みます。
黒豆などは大きなどんぶりに山盛りです。


「空即是色」 般若心経 第10節

「囲碁の石には将棋の角とか歩といった属性は与えられず、碁盤に置かれる前の石は
相手と自分の石を区別する白と黒以外の属性をもたない無の状態である。
ところが、いったん碁盤に置かれると他の石との位置関係によって強い石、弱い石と
いった性質が生まれる。」
「人生は囲碁以上に複雑だが共通点もある」

今日、12月17日はベートーベンの誕生日だそうです。
(1770.12.17.~1827.3.26.)

家内も毛筆を持ちながら年賀状を書き始めました。
裏面はパソコン印刷に少し手書きを添えてですが。
 


師走の決断ではありません

2019-12-16 11:31:01 | 篆刻


「師走」と「決断」は勿論、全く関係ありません。
「潮時」という言葉があります。
「出処進退」よく政治家が口にすることばです。

いつかは決断しなければならない時があります。
書道でも篆刻でも社中(いわば団体)から静かに身を引く時ってありますね。
年齢と体力・気力は正比例しませんが一般的には少しは関係あります。
歓迎せざる予期しない事態が訪れることもあります。

時代は動いています。
少子化や趣味の世界への興味の変化などにより書道人口は減少傾向です。
日展や読売書法展、謙慎書道会、中日書道会など公募展も影響されつつあり
将来に危機感を感じておられるようです。

将来への布石として若い世代の出品を促しています。
中には若い年齢であれば出品料無料というケースもあります。

どの世界でも世代交代があり、それが新陳代謝になっていきます。

読売書法展の機関紙によれば出品者の平均年齢は60歳代になるそうですから
今後10年もすれば随分様相も変わってきそうです。(出品者の内、女性は7割以上)
読売書法展では所属会派が74団体と明記されていますが在籍役員は
会長、最高顧問、顧問、常務総務、参事、常任理事、賛助会員、参与、理事、
幹事、評議員で構成されています。

読売書法会会長の挨拶では(読売書法会 第70号 2019年4月号)
「現代書壇の最高峰の書芸術を創出し、一方では健全な書道活動の普及、育成に
 貢献するという両面性が求められています」
とされていますが「健全な書道活動」ってどう理解したらいいのでしょうネ。
 
読売書法会の篆刻部門では役員は理事が51名、幹事75名、評議員63名になっていますが
本来、望ましいのは裾野の評議員の数が幹事より多いというカタチです。
「かな」会員は女性がほとんどですが同様の傾向で逆ピラミッド型になっています。

評議員以上の方は日展入選経験者が多いですが日展入選率は厳しく、理事~評議員数200名弱と
関西の毎日書道展所属の方との競争もあって熾烈なようです。
何分にも書の先生方には「日展入選回数」が世間の評価にも繋がっている現実があります。
超ベテランの応募者の中で初入選の門は極めて狭いです。


今年も年末になり、過去の作品など整理してみる気になりました。
過去の作品を眺めていると進歩しているつもりが(退化している!)
十数年やっていますと作品数も結構膨大になります。

印譜集を作り、初期の稚拙な作品も記憶から消えないようにしています。

はなしは変わって日展は東京から始まって京都が1月11日まで、
名古屋は1月29日~2月16日まで開催予定になっています。

日展のH.P.によると入選者が
日本画169点、洋画528点、彫塑85点、工芸美術423点、書1,066点となっています。
東京会場では入選者の全ての作品が展示されます。
(勿論、日展会員の方の作品も)

名古屋展では入り口が日本画部門で最後の展示室が書部門です。
地方展では東京展と異なり、地元作家の展示が中心で作品数は少ないですが
それでもゆっくり鑑賞しようとすると書の展示室へ到達する頃はヘトヘトになります。

(たまには逆にして書部門を入り口にすれば鑑賞者はどう反応されるんでしょう!)

最近はホテルの立食パーテイーでも椅子が周囲に置いてあることもあります。
作品展では会場の広さから考えて椅子席の設置はムツカシイんでしょうね。

ところで作品展ではみなさま、平均滞在時間ってどのくらいなんでしょう。

鑑賞時間を3時間程度としてみます。
東京展では全作品数2,271点、3時間は180分ですから1点当たり何秒になるんでしょう。
勿論、全作品を丁寧に鑑賞すれば、という非現実的な話ですが、それぞれの方の鑑賞方法が
あるんでしょう。
アンケート調査してみれば意外な結果になるのかも。

書に関しては随分前から「読める書」を、とされていますが故・村上三島氏が
「書といういうのは本人しか読めない書が多いですよ。
 極端な場合は書いた本人も読めない書があるんですよ。
 だって中国の李白だ杜甫だ蘇東坡だといっても先生にお手本書いて貰って
 それを練習するだけの人もあるから」
 (これは極端で、それはないことを願うだけですが。
  そして読書と同じで読めても理解できないことには始まりませんから)

 知人からは
「どうやって鑑賞する作品を選べばいいの?
 書の数百点の中から自分の好きな作品だけ見ればいい、といわれても素人には
 いい作品の基準が分からないよ。
 絵画なら好きな作品は目で追ってすぐにわかるじゃない。」
小生「そうねえ、まずはベテランの大先生の作品から選ぶしかないよね・・・」

日展などの機関紙には大先生の座談会や感想が記載されていますが
中堅の方のご意見も拝聴してみたい気持ちもあります。

若いお母さんの愛情

2019-12-13 20:55:55 | 日記


時々、都心に出掛けますがラッシュを避けて通勤時間帯を外します。
手にするのは昨日か一昨日の夕刊です。
日頃ゆっくり読めていない日もあり、電車の中で陽射しを浴びてのんびり
するのもいいものです。
乗車率は50~60%程度、2人分の座席を独占です。

同じ電車に乗車する人の殆んどはスマホをいじっています。

途中、5~6駅で停車しますがふと見るとドアの近くで若い女性が背を
向けて、少し身体を揺らしながら立っています。
身体の前には何か抱えているようです。
(何をしてるんだろう?)

数秒してから気がつきました。
身体を屈めながら下を俯いて揺らしているのは(赤ちゃんだ!)

その風景は愛おしさを限りなく赤ちゃんに注いでいる姿でした。
母性本能というのでしょうか。
(愛情表現というのはこうした自然な仕草だと)

空席があるのに着席せずに、あやしている、何かホッとした気持ちに
なりました。

蛇足ながら新聞記事に日本でも有数のハンガーメーカーのことが
記載されていました。
中には数万円もするハンガーもあるとか。
ハンガーは服を掛けますので(福ヲカケル)に繋がるそうです。

写真は記事と直接関係ありません。