相変わらず、職場までの行き帰りの歩きの時間は、慈悲の瞑想を行っている。最近は、ある一人の人物に集中している。ここ数日少し変化があるのは、その人物に対してというより、その人物の「場」に向かって慈悲の瞑想をしているような感じがあることだ。
「場」ということを自分自身を例にとって説明すると、最近、自分を取り囲む「場」がますます調和しているという感じがある。様々なことが順調に進んでいくという感じ。自分の行為が、静かに安定した「場」の中で行われていくような感じ。
自分の周囲にそのように調和した「場」を感じるから、慈悲の瞑想でも相手の「場」が意識されるのだろう。
「場」ということを自分自身を例にとって説明すると、最近、自分を取り囲む「場」がますます調和しているという感じがある。様々なことが順調に進んでいくという感じ。自分の行為が、静かに安定した「場」の中で行われていくような感じ。
自分の周囲にそのように調和した「場」を感じるから、慈悲の瞑想でも相手の「場」が意識されるのだろう。