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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「心の静寂」とは「本当の自分」につながる偉大さ

2025年04月02日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

When you lose touch with inner stillness, you lose touch with yourself. When you lose touch with yourself, you lose touch in the world.

「心の静寂を失うと、『本当の自分』とのつながりを失ってしまいます。『本当の自分』とのつながりを失うと、この世で「迷子」になってしまいます。」

これは上の本の冒頭の一句だ。最初にこの文の inner stillness「心の静寂」という語に接した時、何を指すのかよくわからなかった。それゆねこの本の第一章「なぜ『心の静寂』が必要なのか?」も全体としてピンとこなかった。それもそのはず、実際に本当の意味での心の静寂を味わったことがないのだから、分かろうはずもない。

しかし、この本の残りのすべての章は、体験的に分からないまでも、心にピンと響くものがあった。頭のレベルであるにしてもよく分かり、だから心にも響く文章が多いのだ。

しかし今は「心の静寂」が意味するところも知的なレベルではよく若かる。それは心に思考がない状態のことだ。3月26日付けのこのブログで以下の短い文を同じ本から抜き書きした。

The human condition: lost in thought.

「人間の条件:思考の中で迷子になること」とでも訳すのだろうか。「思考の中で自失すること」「思考の中で迷うこと」などという訳も可能だろうか。私たちは、思考するがゆえに迷っている。自分の心を占領しつづける愚かしい無数の思考に気づけば気づくほと、思考の中に迷っているのが私たちであることは、ますます分かる。ヴィパッサナー瞑想のサティは、その無数の思考に少しでも気づきを入れるのに有効な手段なのだ。

端的にいって「心の静寂」とは「思考の中で迷子になること」が止まることだ。愚かしい無数の思念が止まったところには、途方もない「心の静寂」が訪れるのだ。それは「本当の自分」につながることの偉大さだといってもよい。