瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

実践コミュニケーション

2013年05月05日 | 普通の日記
現在、埼玉県の高校で週2日半、「政治経済」と「国際関係」を教えている。これまで「現代社会」や「世界史」を教えてきた蓄積があるので、それらの経験を活かしながらともに楽しく教えている。時間的な余裕があるので準備に充分時間を使ってあれこれ工夫ができ、自分の勉強にもなるので、教えることがすごく楽しい。それに最近の高校生は、全体としてすごく落ち着いてきていると感じる。これについては追って書いてみたいが、ともあれ授業でほとんどストレスを感じない。

また一昨年から都内のある短大で「実践コミュニケーション」という講座をもっている。これは週に一回、それも後期だけなので本年度はまだ始まっていない。講座名通り、ほとんど実践というか演習を主とするものだ。その内容については以下のブログに少し実践内容を報告してある。→実践コミュニケーションの講義をめぐって

これもある程度、演習内容の蓄積ができてきたので、本年度はさらに改良して楽しくできそうだ。

本年度、新たに取り入れてみたいのは、ロールプレイ的な要素を取り入れた演習だ。これまでもペアを数分ごとに次々と変えながら「雑談力」を鍛える演習をしたりしていたが、本年度はこれをさらに発展させて、たとえば一方が幼稚園児や小学校低学年の子どもの役割をおこない、子どもとコミュニケーションをとる演習をしたり、さらには一方が老人の役割を演じ、老人とのコミュニケーションの演習をしたりすることを考えている。子ともとのコミュニケーションのロールプレイでもいくつかのバリエーションが考えられる。たとえば落ち込んでいる子どもとのコミュニケーションのロールプレイは、次のステップへの橋渡しとなるだろう。

これらをウォーミングアップとし、最終的には一方が何かでひどく落ち込んだ人の役割を演じてもらう。その場合、会話の内容はフィクションでよいが、自分が落ち込んだ時の状態を思い出しながら実感を込めてロールプレイをしてもらう。こうして落ち込んでいる相手との深いコミュニケーションをとる演習をするわけだが、一方落ち込んだ人を演じる人も、ある程度自分の体験をもとにするので、期せずして自分の内面に直面する体験にもなる。

これまでの演習の実践から、学生たちは表面的なコミュニケーションの演習にはほとんど抵抗なく入ってくるが、少し個人の悩みなどに話題を深めて演習をしようとすると、あまり話が深まらない傾向が強かった。しかし、以上のようなロールプレイをしながら、段階的に深いコミュニケーションに進んでいけば、学生もあまり抵抗がないのではないか。

落ち込んだ人を「演じる」という形で、しかも自分の落ち込んだ時の状態を思い出しながら演じるので、あくまでもフィクションとして語りながら、しかも自分の体験に根ざして語ることになる。相手の話を傾聴する側も、どのようにすれば相手の話により沿いながら聴けるか、現実の場面に近いかたちで体験し、学ぶことができるだろう。

これはまだ演習として実際に試してはいないので、学生にとって意味のある演習になるかどうかは分からないが、ともあれ、今からこうして演習のいろいろなパターンを工夫しておくのが、すごく楽しい作業になっている。いまから後期の演習が始まるのを楽しみにしている。