瞑想と精神世界

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覚醒・至高体験をめぐって03:はじめに③

2010年07月18日 | 覚醒・至高体験をめぐって
さて、始めるにあたって何よりもまずに明らかにすべきことがある。それは「覚醒」とは何か、「至高体験」とは何か、そして両者の違いは何かということである。これは、事例集に何をどんな基準で加えるのかという、この事例集の根幹にかかわる問題である。と同時に、第一に取り上げるべき分類ということになる。
しかし、これらの問いについていきなり論じ始めるよりは、まずはこの問いにふさわしい事例を取り上げたいと思う。事例を中心に、事例に沿いながら話を進める方が、この連載の展開としてはるかにふさわしい。

◆エックハルト・トールの体験
エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』(徳間書店、2002年。原題は、The Power of NOW)は、「普遍的な魂の教え、あらゆる宗教のエッセンスを統合し、現代向けに書き改めた書」であり、「大いなる存在が、自分とともにある」ことがどんなことなのか、どうすればそうなるのか、きわめて分かりやすい言葉で、説得力をもって語られている。この本の冒頭には、エックハルト・トール自身の覚醒体験が語られている。最初に「覚醒」とは、何かを確認するのにぴったりの事例だと思う。

トールは、三十歳になるまで、たえまのない不安やあせりに苦しみ、自殺を考えたこともあるほどだという。

二十九歳の時のある晩、夜中に目を覚ました彼は「絶望のどん底だ」という強烈な思いにおそわれた。あらゆるものの存在が無意味に思われ、「この世のすべてを、呪ってやり たいほど」だった。しかも、自分自身こそが、もっとも無価値な存在のように感じられたのだ。(下のリンクで、エックハルト・トール自身の言葉で、その体験が語られている。) 

エックハルト・トールの事例