瞑想と精神世界

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思考と瞑想の心理学09:「むさぼる思考」

2010年07月06日 | 思考と瞑想の心理学
私たちの日常の生活の中で、ほとんど絶えることなく続いていく、心の中のおしゃべり、「日常的な思考」とは、私たちの心のあり方やパーソナリティにとってどのような意味ををもち、またどのような特徴や構造をもっているのか、それを探求することが、この「思考と瞑想の心理学」の課題だった。

とりあえず、日常の思考を便宜的に分類しているわけだが、仮に次のような分け方もできるかもしれない。「むさぼる思考」と「些細な思考」である。「むさぼる」という言葉は、日常の用語としてはすでに何かしら価値判断を含んでいるので、述語として使うのは適当ではないかも知れない。しかし、感じは出ているので、ここでは仮の用語として使っておこう。

「むさぼる思考」は、何かしら潜在意識に根ざす執着や傾向性によって何度も同じパターンで繰り返えされる思考をいう。これが日常の想念・思考の中ではいちばん曲者だろう。

「些細な思考」は、「むさぼる思考」と違い、ちょっとした外的刺激からの連想などで生じる他愛もない想念だ。その背後に根づよいコンプレックスや執着が隠されているわけではないから、別の刺激が入ってくれば、すぐに次の連想に移っていくだろう。その連想には、とくに強い無意識のコンプレックスや執着が反映されているわけではない。

おそらくどんな人にも特定のテーマでの「むさぼる思考」があるだろう。また特定のテーマではなく、様々なテーマにまたがりながら同じパターンで繰り返す「むさぼる思考」もあるだろう。

ここで参考になるのが精神分析でいう「防衛機制」という考え方だろうう。防衛機制は、無意識の働きに関係す心理的な再適応の仕組みを明らかにしたもので、必ずしも日常的な思考のプロセスそのものに焦点を当てているわけではない。しかし、大いに参考にはできるだろう。

たとえば、満たされなかった欲求に対して、適当な理由を付けて正当化しようとする「合理化」は、私たちが日常的な思考の中で、たえず行なっていることだ。失恋などで相当に心理的なショックが大きければ、相手がいかにダメな女で自分にふさわしくないかを延々とむさぶるように思考するかも知れない。

逆に、現実には高嶺の花で、声すらかけることもできない女性との間のラブロマンスを、空想の世界で延々とむさぼるように思い描いて、「逃避」するとうのも防衛機制のひとつだ。

自分自身に認めたくない自分の感情や考えは、得てして他者に「投影」されて、激しい憎悪を駆り立てられることがある。これもまた「むさぼる思考」になりやすく、特定の人物のいやらしさや欠点、許しがたさなどを、延々と脳内で非難し続けるかも知れない。

防衛のメカニズムのすべてが「むさぼる思考」に結びつくわけではないが、逆に「むさぼる思考」は、防衛のメカニズムから説明できるものが多いし、少なくとも無意識から突き上げるエネルギーによって駆り立てられていることがほとんどだろう。

私たちは、繰りかえし同じようなパターンで続けられる「むさぼる思考」に、自分自身で気づいていない場合が多い。瞑想などで自分の日常的な思考を観察してはじめて、そういう傾向に気づくわけだ。