瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

不可触民とアンベードカル

2008年12月20日 | 読書日誌
◆姉妹ブログ 精神世界と心理学・読書の旅 の方に、『破天 (光文社新書)』の著者・山際素男のいくつかの本の書評を載せておいた。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

不可触民の道―インド民衆のなかへ (知恵の森文庫)

不可触民と現代インド (光文社新書)

不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫) 

の四冊である。山際素男の本でインドの不可触民の実態を知ったときはかなり衝撃を受けた。その直後に書いた書評なので、今読み返してみてもその衝撃が滲み出ている。その実態を知っておくことは、佐々井秀嶺が何と戦ったのかを知る上で重要である。また、不可触民の解放のために立ち上がった巨人・アンベードカルの生涯を知ることも大切である。佐々井秀嶺は、死んだアンベードカルの霊的な導きによってこそ、インドの中央にあるナグプール(竜樹ゆかりの地という)に赴き、そこからインド仏教徒の指導者となる道を歩み始めたのだから。もちろん、その地についた当初の佐々井秀嶺は、その後の自分の、信じられないほどの大きな歩みについては、知る由もなかったのだが。

◆昨日は、かなりの時間をつかって慈悲の瞑想を行っていた。身近な二人の人物に集中して行ったのだが、もっとひろく周囲の人々への慈悲の瞑想もかなり行った。

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

この「生きとし生けるもの」のところに具体的な人物の名前を入れたり、ある集団の名称を入れたりする。ある集会で退屈なスピーチを聞き続けた数時間もずっと慈悲の瞑想を行った。駅まで歩く数十分の時間も慈悲の瞑想を行った。

今日も、洗濯物を干しながら、掃除をしながら慈悲の瞑想を行った。